食の安全・安心

IPM(総合的病害虫管理)ってなんだろう

農業生産の現場にいると、IPMという言葉を最近よく目にするようになった。これはIntegrated Pest Managementの略で、日本語では総合的病害虫管理と訳されることが多い。これは農薬だけに頼らず、利用可能なすべての防除技術をそれぞれ矛盾することなく組み合わせて実用上収益に問題ないレベルまで病害虫を抑制しようというものである、と私は理解している。念のため、FAO(国連食糧農業機関)による定義を引用しておこう。

『Integrated Pest Management (IPM)とは、農作物に対する有害生物制御に応用可能な全ての技術を精緻に考慮し、それらの発生増加を抑制する適切な方法を総合的に組み合わせ、農薬やその他の防除対策の実施は経済的に正当なレベルに保ちつつ、人や環境へのリスクを軽減または最小限に抑えることを意味する。IPMでは、農業生態系撹乱の可能性をより少なくし、有害生物の発生を抑える自然界の仕組みをうまく活かすことにより健全な農作物を育てることが重要視されている。』

ここでは人や環境へのリスクも軽減することが謳われている。ここでお気づきの方も多いと思うが、ことさら農薬の低減を強調したり、食の安全安心の向上に触れたりしていない。もちろん、「人へのリスク軽減」という部分からそう読み取れないこともないが、それらを含んでいるとはしてもそれが目的の主体でないことは明らかだ。
というのも、「食の安全」という意味において、農薬の低減や不使用はあまり意味のあることではない。農薬の使用基準については品目ごとに厳密に残留基準値を超過しないように設定されており、残留基準値自体も健康影響が起こらないように設定されていることは以前から述べている通りである。

ではなぜ、こういう概念が生まれ、普及してきたのだろうか。その歴史については農薬工業会のサイトが詳細に解説している。そちらはそちらでお読みいただくとして、以下で私の個人的見解を述べてみたい。

農薬工業会のサイトで解説されているように、IPMの元となる考え方は化学農薬に頼りすぎた防除体系に対する反省から1960年代から提唱され始めたようだ。ただ、私の印象では少なくとも日本では2000年代に入るまであまり浸透していなかったのではないかと思われる。というのも、農薬の使用基準に対する使用者の違反は平成15年に農薬取締法が改正されるまで罰則はなく、濃度や使用後日数が守られていない事例もあったのではないだろうか。それでも残留基準自体がかなり安全側に振った設定になっているうえ、使用基準も残留基準を超えないように余裕を見て設定されていたため、食品として流通している農作物で直接の健康被害はまずなかったはずである。
それでも平成15年の農薬取締法改正以後、というより平成14年の無登録農薬事件以降、世間(というより流通業者)の目が非常に厳しくなり、農薬使用基準の遵守や化学農薬の使用低減への意識は急激に高まってきたと思う。

  また、その事件等とは関係なく、農薬の安全性向上は農薬メーカーでも取り組まれ、様々な病害虫に対し、より特異性が高く人畜への毒性が低い農薬が開発されており、そういった農薬への移行が進んでいる。また、農薬工業会のサイトにも書いてあったように昔の農薬のように強力で一網打尽できるような殺虫剤は害虫の天敵も撲滅してしまい、かえって害虫を増やすというような現象(リサージェンス)を引き起こすこともあり、また強力であるがゆえに同じ農薬を繰り返し使い、抵抗性も発達させ、効果も現れにくくなってきた。そのような面からもIPMには意義がある。

さて、それでは生産の現場ではどのような技術が用いられているのだろうか。

1 耕種的防除
栽培上の工夫で病害虫を減らす防除技術。土壌改良や耕起などによる土壌の膨軟化や水はけの改善によって植物を健全にするとともに土壌伝染性の病害を減らす、残渣の圃場外への搬出により病原菌などの増殖の防止、輪作によって特定の病害虫の増加を防ぐ、台木や抵抗性品種の使用、それらを総合して栽培環境を適正化することによって防除を行う。

2 物理的防除
物理的障壁を作ったりすることで病害虫の侵入を防ぐ技術。防虫ネットにより害虫の侵入を防ぐ、粘着トラップなどで害虫を捕獲する(これは個体数の低減よりも発生のモニター目的のことが多い)、光が散乱する資材で害虫の飛来を阻害する(UVカットフィルムも含む)、紫外線や緑色光で抵抗性を誘導する、黄色蛍光灯で夜蛾類の飛来を防止する、などである。

3 生物的防除
生物を用いて病害虫の活動を抑制する技術。天敵による捕食で害虫の密度を下げる、拮抗する微生物により病原菌の増殖を抑制する、害虫に対する毒素を持つ微生物資材(菌そのものの場合と抽出毒素の場合がある)により防除する、など。

4 化学的防除
いわゆる化学農薬を使用した防除。殺虫、殺菌のほか誘因や忌避剤も含む。

これらを相互に矛盾しないように使用する、と先ほど述べたが、このあたりのマネジメントが難しいのである。例えば天敵を使用する場合、特にハダニ類の場合は同じダニ類の天敵であるカブリダニを使うことが多いが、当然ながら殺ダニ剤は天敵のカブリダニも殺してしまう場合がある。天敵のカブリダニには効果が少なく、ハダニには十分な効果のある薬剤もあるが、そうすると使える薬剤が限られ、慎重に防除のタイミングを図る必要がある。また、天敵が活動しやすい環境を作る必要もあり、そのためには餌になる害虫もある程度の発生は許容する必要があり、化学的防除への切り替えのタイミングを見誤ると被害が増大することもある。このため、IPMをうまく運用するためには発生密度やその他環境のモニターが欠かせないのである。

今回、IPMの意義や技術内容を紹介しようとして、すごくまとまりのない文章になってしまった。しかし、言いたいことはあらかた吐き出せたと思うので、疑問点や誤りなどご指摘していただき、より理解が深められれば、と思っている。

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畝山智香子 著 「健康食品」のことがよくわかる本」

最近、すっかり書評ブログと化している当ブログです・・・。
今回は食品安全情報blogを書かれている畝山智香子さんの「「健康食品」のことがよくわかる本」を取り上げてみたい。畝山さんは国立医薬品食品衛生研究所安全情報部第三室長という立場にありながら、上記のblogを立ち上げて情報発信に努めておられる方だ。そのような方がいわゆる「健康食品」についてどのように書かれているのだろうか。

目次構成は日本評論社のサイトをご覧頂くとして、本の構成に沿って内容を紹介し、コメントしていきたい。

さて、まず第1章では医薬品の安全性がどのように担保されているのか(一般向けとしては)詳細に解説されている。その内容については繰り返さないが、これを読めば医薬品がいかに何重ものハードルをくぐり抜けてきているかわかると思う。しかもそれは、厳密にルールが決められていて、脇道や近道など無いこともよくわかるだろう。しかも、一旦承認された医薬品でもその後現場で使用されるに当たって、何か問題が起これば直ちにフィードバックされ、常に見直しが行われるということも知って頂きたい。
ともかく、表の細かい中身などまで理解し、覚える必要は無いと思うが、医薬品承認の厳密性は「科学」というものに通底する「確実性」を担保するための考え方にも通じる部分があるので、是非理解して頂きたい。自分の主戦場である農業においても、農薬の登録が医薬品と同じような考え方でなされていることも知ってもらえるとありがたい。

第2章では食品の安全性についての解説がなされている。予備知識なしに一般的に考えられている食品の安全性についての考え方と実際にどうリスク管理をするのかという考え方のギャップに驚くだろう。実際、伝統的に食べられてきたから安全とは言えない、ということが理解できれば、この本の目的はある程度達成できたと思って良いのではないか。

第3章では医薬品と食品の間に位置するものについて。漢方薬(医薬品でもある)、伝統療法、サプリメントなどだ。オーストラリアやEUなどでのそれらの定義や規制について紹介され、日本のそれと比較してある。また、実際にあった事例を紹介し、それについて解説されている。
それぞれの国や地域で歴史や伝統的食生活の違いがあるので一概にどうこうは言えないが、概して日本のものは緩い印象である。もちろん、緩いことは悪い事ばかりではないが、消費者にとっての利益で考えるとどうにも上手く考えがまとまらない。情報提供はしっかりやって欲しいなと思う一方、あまり細かく書いて誰が読むのかなぁ、と思ってみたりする。

第4章では食品の機能表示について、やはり日本の場合と欧米、韓国などの実際の事例も紹介しながら、科学的根拠がないことの危うさについて書かれている。それにしても、この章ではなおさら日本の規制の緩さ、そこへつけ込む「健康本」やマスコミの健康関連記事について危機感を感じてしまう。米国では忘れ去られそうになっているものが日本ではまだはびこっていたりするのである。もちろん、欧米(ひとくくりにしてごめんなさい)の方が酷い場合もあるのだが・・・。

最終章では「食品」の機能についての解説と、それらの機能に対する一般人のイメージと食品系の科学者、技術者とのギャップについて書かれている。そして、著者の考えとして機能性表示よりも科学的根拠に基づく栄養成分表示を提言している。情報提供の正しさとしてはそれがベストなのだろう。しかし、それを実際の効果としてベストにするには社会全体での科学的な視点というものを充実させていく必要があるだろう。

いずれにしても、日本では情報が少ないのを良いことに、マスコミが都合の良いところだけ切り取った報道をしがち(個人的な印象です)なのはどうにかならないかと思っている。それだけに、どらねこさんのブログ「とらねこ日誌」でも言及されていたように、そういった情報発信をする人たちにこの本は読んでもらいたいと思う。

最後に、第4章の終わりに書いてあった言葉を引用して終わりとしたい。
「科学は冷酷なので人の気持ちなど斟酌しません。どんなに一生懸命だろうがどれだけ苦労して開発したものであろうがダメだった仮説は捨てられます。それはある種の人々にとっては受け入れ難く、別の仮説に昇華し損なったりした仮説が幽霊となって彷徨うのでしょう。もちろん幽霊を作っているのは科学ではなく人間の「思い」なのです。」
まさしく科学を科学たらしめているのはこの根本にある「物事を人間の思いを排して確かめるための方法」なのである。そのことだけでも理解して頂ければずいぶん世の中は変わると思うのだけど・・・。

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「醤油本」

というタイトルのムックが発売されているということをTwitterで相互フォローの方から教えていただいた。それに、直接の知り合いではないが結構身近な人が著者に名を連ねているということもあり、仕事にも関わることなので購入してみることにした。

まずは醤油の歴史や地域性について解説がなされており、一般的に知られている淡口、濃口醤油の違いについて、製法から解説してある。一般に関西では淡口、関東では濃口が主流と簡単に思われいている、というか自分はそんな程度の認識だったが、関西でも多いのは濃口で、淡口の比率が関東よりかなり高いというだけだったのは意外だった。

そのほかにも九州で主流の甘口醤油は香川でも結構流通しているらしく、我が家では甘口醤油はあまり使うことがないのでそういうことも知らなかった。

刺身には刺身用の醤油を使っているが、単純に「溜」を使っているものと思っていたし、溜というものは単に濃口をさらに濃くしたものかと思っていたが、それも違った。製法だけでなく、原材料にもいろいろあり、それらがあの豊かな風味の違いを生み出していたというのは非常に興味深いものであった。というか、自分の無知が恥ずかしくなる思いだった。刺身醤油も単に溜醤油というわけでなく、食材によってはその他の醤油が合う場合も多いようだ。

アミノ酸を添加する混合醸造やその他の添加物についても丁寧に科学的に解説してあり、必ずしも本醸造や昔ながらの長期間の熟成が良いばかりではないときちんと述べている点にも好感が持てた。この辺は100巻以上続いている某グルメ漫画とは違うところだ。

それから、醸造用の木桶復活にも触れられているが、これがまた結構身近で行われていることに驚いた。小豆島のヤマロク醤油というところの社長が取り組んでいるようだが、これはもしかして前回の瀬戸内国際芸術祭の折に小豆島の醤の里で見たものがそうだろうか。また、醤の里に行く機会があったらぜひ訪れてみたいものだ。そのときはツーリングもかねて、私がもう一つ運営しているバイクブログの方で紹介できればと思っている。

蔵元紹介のページでは各地の味わい深い蔵元が紹介されていた。それによると、自宅から結構近いところにおもしろそうな蔵元があるようだ。また是非立ち寄ってみよう。そのほかにもこの本には紹介されていない蔵元が近くにあるはずなので、そこも覗いてみよう。スーパーなどで売っているのを見かけたことはないので、直売してもらえるのなら買ってみたいところだが。

ただ一点だけ気になったのは、遺伝子組み換え大豆に関する記述で、決して否定的に書いているわけではないが、気になる人向けに表示で見分けるための知識が紹介されており、少々もやもやする気分にされてしまった。ほんのわずかではあるが、マイナスイメージにつながりそうな書き方をされていたからである。

ともあれ、全体としては非常に読みやすく、内容も好感の持てるものだった。こうした調味料に興味のある方、大メーカーの大量生産品や添加物が気になる方、地域ごとの、地元の醤油事情が知りたい方は是非手にとって読んでみることをおすすめしたい。
ソースでもこういう本が出ることを期待している(某氏に向けて)。

本の出版情報を記載していなかったので、追記しておきます。

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齋藤訓之著「有機野菜はウソをつく」について

Food Watch Japanを運営している齋藤訓之さんが「有機野菜はウソをつく」という非常に刺激的な表題の著書を出された。この表題から想像される内容を自分なりに予想しながら読み進めたが、中身は表題ほど攻撃的ではなく、極めて常識的である。それでも、この内容を書籍という形で世に出すのは、たとえば自分が著者であったらできるかというとかなり勇気がいる(シャレではありません)。そういった点で齋藤さんのその意気には敬意を表したい。

第1章は有機農業の定義から、その存在の意義、中身について語られている。その内容は我々農業の技術者、中でも土壌肥料や病害虫関係の技術者にとっては常識ともいえる内容であった。ただ、環境保全型農業の推進を掲げている行政の中で、そこに関わっている立場からすると思ってはいてもなかなか口には出せない。それは以前のエントリーでも述べたとおりだ。なので、齋藤さんのこの本が世に出たことは非常にありがたいのである。

ともかく、自分としても以前から「自然だから美味しいって本当だろうか」や「化学肥料、何が問題なのか」などで述べてきたように農業はけっして自然ではないし、自然だからおいしく、安全安心なのだという考え方には異議を唱えてきた。
その点において、第1章は論点をきちんと網羅してコンパクトに述べており、理解しやすいと思う。ただ、この「理解しやすい」は自分のような農業の技術者でない場合にもあてはまるかどうかは自信がないので、様々な意見が出てくる可能性はあると思う。

第2章は慣行農法の元肥偏重主義への疑問の提示からその性質をよく知らないまま堆肥を使用することなどについての問題点の指摘などが主体になっており、それに対比する形でブドウなどで取り入れられている栄養周期理論が取り上げられている。

元肥に極端に偏った慣行農法の、特に野菜の施肥体系については問題点の指摘については全くその通りだが、現在の日本の農業の現状(狭い農地面積で人手で集約的に行うなど)からすれば労力と収量・品質などのバランスを考えた効率からすると元肥主体が今のところベターなのである。もちろん本書ではそいういった点にも理解を示してはいる。とにかく、技術的な問題点を示しながら、どのように進むべきなのかが直接書いてあるわけではないが、どのように考えていくべきなのかのヒントがそこにあるのではないだろうか。

第3章は有機農業がどのように定着してきたかをメインに、近代農業の歴史みたいな話だった。有機農業に対する認識はほぼ現場の実感に近いと思う。特にコーデックスや有機JAS成立以前は生産者も、流通業者も「有機農産物」に対する認識が甘く、何が有機農産物なのかはっきりしない中でなんとなく良いイメージで世の中に浸透していたのではないだろうか。一般の人はほとんどの場合有機JAS法などはその中身を知らないためにそういう変化を知らないままのように思えるが・・・。

第4章では安全安心は有機であるかどうかではなく、どのような管理体系を組むのか、どういうところに注意すべきなのか重要なのだと述べている。頻繁に自分の畑をみて、植物の状態を細かく把握し、変化を見逃すことなく対応できる人が収量も品質も確保できるのだ。

私も以前から主張しているように、技術のある生産者の農作物は有機であろうとそうでなかろうと美味いものは美味いし、技術のない人のものはたいがいまずいのである。ただ、ややこしいのはこの「技術」にはセンスも含まれるというのが私個人の感想である。鍛えて伸びる部分ももちろんあるが、センスのある人とない人(考え方を整理できるかできないかも含めて)の間には越えられない壁はあると思う。

第5章では、消費者としてどのようなことに気を付けて農作物を選ぶべきかということについて述べられている。調和がとれているものは見た目にも調和がとれている、という視点はなかなか面白い。言われてみればその通りなのだが、説明の仕方についてはこういうやり方もあるのかと感心した。

一点気になったのはチップバーンをカリウムの欠乏としているところである。もちろん欠乏症状として下位葉から出始め、縁が枯れるようになってくるというのも間違いではないが、自分の認識としてチップバーンと言えばカルシウムの欠乏症で新葉から出てくることが多く、葉の先端が枯れこんでひきつれたようになる、というものである。手元にある資料を調べてみたが、チップバーンはほぼカルシウム欠乏が原因と書いてあるが…カリウム欠乏による下位葉の枯れこみもチップバーンと呼ぶ場合もあるかもしれないので、ここはちょっと保留である。

ともあれ、全体としてはおおむね同意できるところが多く、この内容を世に問うてくれたところは大いに評価したい。これだけで流れが変わるとは思えないが、きっかけの一つになってもらえるよう、私も自分の立場から働きかけてみたいと思う。

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有機栽培と大規模農業経営は対立する概念? ~有機栽培での窒素供給について~

さて、こないだ某所で有機栽培における窒素供給の観点から、有機栽培は大規模経営には向かないのか、といった話が持ち上がっていたので、そのあたりどういう風にまとまるかは自分でも読めないが、取り上げてみたい。なお、有機栽培の定義からすると農薬の使用についても関わってくるが、今回は肥料成分、中でも窒素成分についての話に絞って論じてみたい。

とりあえず、関連する過去記事を上げておく。

窒素を施用しないで炭素のみ循環させて行う農法がある。その中で、炭素を循環させることの意味についてお話しています。

初期のエントリーで、一文が長く読みにくいですが、とりあえず有機農法の定義について冒頭だけお読みいただければ。

-引用開始-
有機農法と慣行農法の収量の差がこれまで推定されていたより少ないと主張する論文について。内容をよく見ると有機農法だけローテーションしていたりと比較のしかたがおかしいところが多い。窒素必要量の多い作物での有機農法の不利は圧倒的な事実である。収量を環境とは関係がないと主張しているが、それこそが持続可能な農業にとっては重要な問題である。さらに有機農業と大規模工業的農業は対立概念ではない。大規模有機農業も小規模環境農家もいる。そもそも圧倒的に慣行栽培が多く米国では有機栽培は作物で0.8%畜産で0.5%のみ。しかも有機のうち大規模(500エーカー(2 km²)以上)のほうが多い(60/40)。
(ちなみに日本の農家の平均耕作面積が2ヘクタールで500エーカーの100分の1)
-引用終了-

有機農法の定義から言えば、十分な窒素施用量を確保することは実はそれほど難しいことではない。有機質資材由来であれば窒素成分をいくら施用しようともそれは有機農法の範疇になるからである。鶏糞や菜種油粕、米ぬかなど比較的窒素成分量の多い有機質資材はいくらでも存在する。では、なぜ窒素必要量の多い作物では有機栽培は不利なのか?
小規模であれば、さほど不利ではないと思う。必要十分な肥料さえ確保できていればまず問題はない。作物の生育を丁寧に観察し、施肥量などを適切に調節したりなど手間と費用を考えなければ品質収量を確保することは十分に可能だからである。

それが大規模になれば事情は変わってくる。安定した品質の有機質肥料を大量に確保することは難しいし(規模にもよるが、そもそも有機質肥料等の生産や品質が安定しない)、有機質肥料は目的とする作物の窒素量の確保だけでなく、他の養分のバランスも、作ろうとしている品目にとっていいものとは限らないからである。

それでは、よく使われる有機質肥料や堆肥の含有成分はどのくらいだろうか。一覧にしてみよう。一応これらは保証成分として表記されているものをおおよそでまとめてあるので、「なし」となっているものも本当に0%というわけではない。なお、家畜ふん堆肥はおがくずなどの副資材を含まない場合を想定している。

1) 魚かす 窒素5~8%、リン酸5~8%、加里なし
2) 窒素質グアノ 窒素13~15%、リン酸8~9%、加里1~2%
3) リン酸グアノ 窒素1%以下、リン酸27~30%、加里1%未満
4) 菜種油粕 窒素5~6%、リン酸2%、加里1%
5) ダイズ油粕 窒素6~7%、リン酸1~2%、加里1~2%
6) 牛ふん堆肥 窒素2.3%、リン酸4.1%、加里0.4%
7) 豚ふん堆肥 窒素3.8%、リン酸5.4%、加里5%
8) 鶏ふん堆肥 窒素3.1%、リン酸8%、加里4%

(参考:農文協 肥料便覧第5版 伊達昇・塩崎尚郎編著 若干数字は丸めてあります)
これは、含有量での表記なので、植物がすぐに利用できる成分の割合(肥効率という)はこれぞれ違ってくるので注意が必要である。例えば、同じ家畜ふん堆肥でも牛ふん堆肥は炭素率(炭素/窒素の重量比)が高いため、肥効率は低めで窒素で3割程度だが、鶏ふんや豚ふんは7割程度である。

これらを見ていただくと分かるように、肥効率も考慮して有機質肥料でも重量比で化成肥料の1~5割程度窒素成分を含んでいる。鶏糞などであれば10aあたり500~1000㎏施用すればJAなどが発行している栽培のしおりに掲載されている元肥の窒素量は十分カバーできるということになる。ただ、化成肥料だと10aあたり100㎏程度で済むところ、その5倍から10倍の施用量が必要になり、労力がかかること、肥料バランスをとることが難しいこと、住宅に近接した農地では臭いなどに配慮が必要なことなど難しい点も多い。

ただし、ならば化成肥料は(循環ということをとりあえず考慮しないとしても)万能かというとそういうわけではない。詳しくは過去のエントリー「化学肥料、何が問題なのか」をご参照いただきたいが、もともと元肥偏重の施肥設計が多いうえに高濃度であるがゆえに過剰に施用してしまうことも多く、植物の根張りなど初期生育に悪影響が出たり、環境負荷が大きくなることもある。

わが国では、有機農業というと環境意識の高い篤農家が手間暇かけてやるイメージが強いが、先ほど述べたようにすくなくとも肥料に関しては(有機JASの規格を満たしていればよいのであれば)、決して大規模経営が不可能なわけではない。何より、ベクトルが全く逆を向いているというわけではないので、そもそも分けて考えるべきものなのである。

それらのことを総合的に考えると、持続的農業を目指すにせよ、やはり有機質資材(肥料)は資源の有効利用や土づくりを考慮した施用とし、それをベースにして化成肥料でバランスをとるというのが理想的であるといういつもの結論になると思われるがいかがだろうか。

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野菜(植物)の奇形はなぜ起こる? ~スーパーでは揃った形の野菜たち~

さて、津波などの災害で多くの方が亡くなられた東日本大震災からもうすぐ3年がたとうとしている。同時に、あの震災では福島第一原発が大きな事故を起こし、多量の放射性物質が放出された。その後、関係者の大変な努力によって放射性物質の多量な放出は収まっているが、事故はまだ収束したわけではなく、まだまだ予断を許さない状況である。

この記事は、放射性物質の現在の状況やその対策について語る場ではないのでそれらについては割愛させていただく。ただ、一部を除いて環境中放射性物質の状況は改善してきており、これも関係者の努力によって福島県産を初めとする東北の農作物はまったく心配のないものが流通している(福島県HP農林水産物のモニタリング結果)。

にもかかわらず、「原発 植物 奇形」などで検索を行なうと植物の奇形情報やまとめサイトなどたくさん引っかかってくるし、2013年の日付でそれらについて言及したブログも見られる。そういった方面にはあえてリンクを張らないが、いまだにそういう情報が多いようなので、ここで一度植物の奇形について解説してみたい。

最近目にしてびっくりしたのがイチゴの鶏冠果についてのことである。これは、イチゴの果実が扇形に広がり、異様に大きくまるで鶏のとさかみたいな形になったものである。これが原発事故による放射線の影響であるということを言っている人がいたのだ。しかし、これは放射線の影響による奇形などではなく、事故前からいくらでも見られたもので、「イチゴ 鶏冠果」で画像検索をかけるといくらでも出てくるので試してみて欲しい。

イチゴの鶏冠果は花などでよく見られる「石化」や「帯化」と呼ばれるものと同じ現象と思われる。通常円形になるはずの花が石化状態となって楕円形になったりした場合、規格外となって出荷されることはないので、一般の方が目にすることはほとんどないと思うが、特にマーガレットなどでは起こりやすく、細長くモップのような形状になった花は栽培現場では何十年も前から結構多く見られる。また、いけばなをされる方は材料としてよくごらんになると思うが、石化が常態と化している植物として石化柳があり、ケイトウなどもそうだ。

マーガレットなどで石化が起こる原因は主に花芽形成期の栄養、特に窒素が過剰であるときに起きやすいといわれている。植物は体を大きくするための栄養生長と、子孫を残すための生殖生長をそれぞれ行なうが、栄養生長と生殖生長の切り替えは温度や日長などの条件で行なわれる。そのときに、一般的には窒素成分が多いと生殖生長への切り替えが起こり難くなることが知られており、生殖生長へ切り替わって花芽形成を行っているときに窒素が過剰になると栄養生長へ引き戻されそうになったり、生長点での細胞分裂が旺盛になることで細胞増殖が全体に均等なものでなくなるのかもしれない。

ともかく、イチゴの場合は頂花房といわれる植え付け後最初に出てくる花芽で鶏冠果が起こりやすく、栄養生長から最初の生殖生長に切り替わるところで旺盛に生育していること、花芽形成が行われているときに比較的気温(及び地温)が高いことなどが原因だと考えられる。

それ以外にも、イチゴでは奇形果が出来る原因として不受精(受粉が不十分であったり、そもそも花粉の稔性(活力というとわかりやすい?)が落ちていることによって起こる)と言うのもある。イチゴは、本当の果実は可食部の表面についているゴマのようなところであり(痩果という)、可食部は花床と呼ばれる部分なのだが、痩果がそれぞれ受精できていないとその部分の花床は肥大しない。つまり、受精(受粉)できていない部分とできている部分が混在するとせっかくもとの形がきれいであっても、部分的に肥大して形が崩れてしまう。曇天で低温が続くと、受粉を行なうミツバチの活動が低下するほか、花粉そのものの稔性も低下してしまうことが不受精が起こる原因である。

他の品目でも、例えばナスでは低温による花粉稔性の低下は石ナスと呼ばれる肥大しない硬いナスの原因となっている。少し前に放射線による奇形であるとして出回っていたトマトの写真もおそらく同様に低温によるものか単為結果(受粉を伴わない結実)に使われるホルモン剤の処理技術の失敗(処理回数過多)によるものではないだろうか。

また、仮に放射線が原因で遺伝子に異常が起こったとして、それが果実や花、茎葉の形成に関わる遺伝子であったとしても、「奇形になりながらも花芽や果実を形成する」確率は非常に低いと思う。放射線が遺伝子に異常を引き起こすメカニズムは「放射線によってDNAが損傷する」ということになると思うが、DNAの損傷がそのままならその細胞は分裂そのものが不可能になるだろう(アポトーシスが起こると思うが、この辺は理解が十分でないので、すこし違うかもしれない)。しかも、その付近にある細胞が同じように均等に遺伝変異が起こるとは考えられない。この辺りのメカニズムが理解できていれば、遺伝子に損傷を受けた細胞群が奇形を形成する範囲にうまくとどまる、と言うのは奇跡的な確率になると感じるのが普通だろう。つまり、奇形になるよりそもそも花や果実、茎葉を形成しなくなるのではないだろうか。

このように考えていくと、遺伝のメカニズム、放射線が遺伝子を損傷するメカニズムを理解していればそんなに奇形が頻発するはずはないことは容易に想像がつくと思う。そして、農業生産の現場に関わっていれば、奇形植物など原発事故前からいくらでも存在した事は常識である。そしてそれらの事は情報が隠蔽されているわけでも、捻じ曲げられているわけでもない。もし、そのことが信じられないのであれば、原発事故と関係が薄いと考えられる西日本の農家を訪ねてみればいい。JAや市場の規格に合わず、廃棄されている規格外の「奇形農作物」をいくらでも見ることが出来るはずである。そして、それらは新鮮である限り、スーパーの店頭に並ぶ野菜や果物より美味いかもしれない。

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化学肥料、何が問題なのか

さて、今まで化学肥料の問題点については色々と論じてきたような気がするので、いまさらという感じもなくはないが、これをテーマとしてまとまった話をしたことはないと思うので、取り上げておこう。

化学肥料を「化成肥料」だとするとその定義は、窒素(N)、リン酸(P)、加里(K)のうちいずれか2成分以上を含み、化学反応をともなって製造された複合肥料のことをさす。ただ、化学肥料というと一般的なイメージとしては、単肥(成分が1種類のもの)でも化学合成されていれば「化学肥料」ということになるだろう。

化学肥料の起源といえば、なんといっても1906年に開発されたハーバー・ボッシュ法による大気中の窒素からのアンモニア合成だろう。窒素は植物の生育に最も大きくかかわってくるが、大気中の窒素分子は極めて安定しており、反応によって植物栄養として使える形にはしづらい(そういうことから考えると、微生物の窒素固定は酵素の触媒としての力に驚愕するしかない)。そのため、工業的に利用するためには高温高圧状態を作り出せる技術が発達することが必要だったのである。それまでは有機窒素かチリ硝石のような天然産物を利用するしかなかったのである。
※ハーバー・ボッシュ法についての詳しい解説はリンク先を見ていただくか、化学に詳しい方の解説をお願いしたい(他力本願)。

ちなみに、今まで何度も解説しているが、植物は窒素成分としてはほぼ硝酸態かアンモニア態で利用する。一部例外としてアミノ酸やペプチドの形でも吸収、利用することがわかっている。詳しくは過去記事を参照いただきたい。

ハーバー・ボッシュ法によって大気中の窒素を利用できるようになったわけであるが、それまでは大気中の窒素といえば主にマメ科植物と共生する窒素固定菌(根粒菌)やそのほか嫌気性の光合成細菌などによって固定されるしかなかった。つまり乏しい窒素量によって作物の生産量は制限されていたのだが、これが化学肥料の登場によって一気に増産が可能になったのである。

化学肥料の特徴としては植物に直接またはすばやく利用できる形態であること、有機質肥料に比べて肥料成分量が多いことなどがあげられるだろう。このため肥料の施用による成分量が正確に計算でき、肥料による植物の生育コントロールが容易である。また、肥料成分量が多いということはそれだけ肥料散布の労力が少なくて済むということにもつながっている。

では、このような良い特徴も持っている化学肥料の何が問題なのだろうか?

現代の農業技術を否定する方々にとっては、そもそも化学合成された肥料成分そのものが自然に存在するものではないため、環境にも人体にも良くないというイメージがあるのだと思う(これは、一言一句そのままの言説を見たというわけではないので、藁人形論法に近いが、そう大きく間違ったものでもないだろう)。しかし、化学肥料はその製造過程における化学反応を人為的に起こしているというだけで、分子の世界で起きていることはまったく同じである。先ほども説明したように、有機質肥料といっても植物に吸収される段階では窒素は硝酸イオン(NO3-)あるいはアンモニウムイオン(NH4+)になっていることがほとんどである。リン酸もリン酸イオン(PO4-)、加里もカリウムイオン(K+)の状態で吸収される。これについてはまったく有機質肥料と化学肥料に違いはない。

ただし、状況によっての違いはあるが、有機質肥料は微生物等によって分解されながらじっくりと肥料成分を溶出させていく。また、はじめから持っている無機成分も塩基類(石灰(Ca)、苦土(Mg)、加里)やアンモニウムイオンなどの陽イオンは有機質肥料に含まれる腐植酸などの持つ陰電荷に引き付けられ、急速には溶出しない。それに比べて化学肥料は土壌水分に溶けてしまえば、急激に土壌中の成分濃度を上げることがあるため、根痛みを起こす心配はある。この場合、省力化につながるはずの成分濃度の高さがあだとなるわけである。農家の中には肥切れを心配するあまり肥料を多投入する人がいるが、こういう弊害もある。

また、化学肥料を使用した野菜類の栽培では特に日本では流亡も織り込んだ元肥偏重による施肥体系で栽培されることが多く、特に硝酸態窒素の環境中への流出も多い。このため、地下水が硝酸態窒素で汚染されるという事態も発生している。この点については資源の有効活用とも連動する話なので、緩効性肥料や側条施肥などの肥料成分を有効活用する技術を進めていく必要があるだろう。

現在の化学合成窒素肥料がすべてハーバー・ボッシュ法およびその類似法によって製造されているわけではなく、他の化学産業における副生成物が流用されている場合も多い。例えば代表的窒素単肥である硫安などは、コークスの製造時に出るアンモニアに硫酸を反応させて作っている。こういった場合、副生成物であるがゆえに予期できない不純物が含まれている可能性も考えられ、こういったものについて健康被害を心配されているならまだ理解はできる。しかし、今のところ私が調べられる範囲では化学肥料の製造過程における不純物での健康被害は見つけられていない。

しかしそれでも、有機質肥料のほうがより自然に近く、環境への負荷も小さいのではないか、との意見もあると思う。

化学肥料による元肥偏重のところでも話したように、有機質肥料の緩効性を生かして環境への肥料成分流出を抑える、という考え方は成り立つ。しかし、有機質肥料の肥料成分溶出は土壌条件や温度、水分に大きく左右され、思ったとおりの肥効が得られないことが多い。特に水稲などでは作型によっては食味に大きな影響のある時期に急激に気温が上がり、効かせたくないのに窒素成分が溶出してしまう、ということがある。また、家畜糞肥料なら季節や飼料によって肥料成分含量は大きく変わり、栽培されている植物にとって最適な肥料バランスにすることも難しい。

とはいえ、化学肥料だけで作物を作っていたのでは土壌は無機の母岩由来の鉱物粒子だけになってしまい、硬く締まりすぎて空気の流通が悪く(根も呼吸を行なう)根が十分に張ることができなくなったり、肥料成分をいったん捕まえてゆっくり離す緩衝力もなくなってしまう。先ほど述べた肥料のやりすぎに耐える力がなくなるのである。また、土が固く締まることにより、排水性ばかりか保水性も低下する。それ以外にも硫安や塩安など生理的酸性肥料が多く、土壌の酸性化を促進することもある。

整理すると、化学肥料のメリットは以下のようになる。
1)肥料成分量が高いため、施用量が少量で済み、省力化になる
2)成分溶出が早く、想定どおりの肥効が得やすい
3)成分量が細かくコントロールでき、植物に合わせた施肥がやりやすい
4)窒素肥料の場合、大気中にほぼ無尽蔵にある気体の窒素を原料にできる

それに対して、デメリットは以下のとおりである。
1)肥料成分量が高いため、施肥過剰になりやすい
2)工業生産物の副生成物が使われることがあるため、予期しない不純物が含まれる可能性がある
3)土壌中の微生物が利用しにくく、土壌物理性が低下しやすい
4)化成肥料の過剰投入により、環境中への肥料成分(特に硝酸態窒素)の流出が増え、また土壌の酸性化を招くおそれがある

以上のようなことから、やはり最適解は有機質、化学肥料のそれぞれをうまく組み合わせ、土壌をいい状態に保ちながら肥効をコントロールすることだと思う。わかりやすく言い換えれば、堆肥で土作りをしながら、肥料成分は化学肥料でコントロールする、ということになるだろうか。もちろん、作物の種類や土壌条件によってその組み合わせは様々に変わってくる。結局は現場でその状態をしっかり把握し、作物の生育状況に土壌診断などを組み合わせ、それぞれに最適なやり方を探っていくことなのだろう。

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香川県で菊池誠さんのサイエンスカフェ開催!

香川県で、サイエンスカフェが開催されることになりました。

以下はその紹介文です。

サイエンスカフェin高松 
暮らしと科学を隔てるもの
 ~その河を渡りきるために~
 私たちの暮らしと科学の間には大きな隔たりがある、そう感じている人は多いかもしれません。しかし、科学と暮らしは切っても切れないもの。
 でも、科学のすべてを理解する必要はありません。それは誰にもできないことです。科学という「ものの考え方」を知ることで、世間にあふれる「科学を装っているけど科学でないもの」を避けられるようになりたい、なって欲しい。
 そのために、様々な「ニセ科学」などの実例を交えて大阪大学サイバーメディアセンター教授の菊池誠さんに科学というものの考え方についてお話いただきます。

日時:平成25年11月4日(月) 14:00~
場所:サンポートホール高松 5階 第53会議室
参加費:千円程度

以上です。チラシを掲載しておきますので、ご覧になった上、興味をお持ちの方はこちらへのコメントにてお申し込み、お問い合わせください。
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珍しく消費者の人と直接対話してみた

先日、高校の同窓会に出席して来た。およそ30年ぶりに会う人達ばかりだったが、よく言われるように初めだけ緊張していたが、慣れてくるとすぐ30年前と同じ感覚でしゃべることができた。

とまあ、ここまではこの文章の趣旨とは関係なさそうだが、その後行った2次会で、クラスの女子(!)と話していて、ここに至ってなお農薬に対するイメージの悪さと、自分たちの仕事での、あるいはこういったブログ等による発信での浸透の小ささに愕然とした。最も、主に1人の女子(まだいうか)と話していたため、それが世間一般の見解だというつもりはないが、今回はその会話について考えてみたい。

はじめは他愛のない世間話をしていたのだが、自分が農業にかかわる仕事をしているという話をしていたところ、こう聞かれた。
「農薬ってやっぱり危ないんやろ?無農薬のやつ買うた方がええんやんな?」
一瞬返答に詰まった。当然の前提としてそう思っているようだ。
「いや、危なくないとは言い切れへんけど(この辺がもどかしい)結局量の問題やねん。農家が散布する農薬も散布する時点で一部を除いてそんな危なくないし、消費者の手元に届く時点で残留はほとんどない。無農薬とか減農薬栽培の野菜とかって、安全性の問題だけでいえばまったく違いはないよ」
「え~、ほんま?だって農薬やろ?農薬言うたら危ないもんちゃうのん?」
「あのね、農薬言うてもいろんなもんあるし、農薬という名前の物質があるわけではないし、危ないかどうかはそれぞれの農薬ごとにやね・・・」
「せやけど、虫とかにかけたら死ぬやん」

この後、農薬とは最近は種類ごとに対象病害虫に特異的に作用して、安全性が非常に高まっていること、それでなお非常に厳しい残留基準値が決められていることなどを説明した。出来るだけわかりやすさを心がけて・・・。
「ごめん、〇〇君(私の本名)の話難しいわ」
「そ、そう?」
「うん、これが私ら普通のおばちゃんの感覚」

しかも色々聞いてみると、「買ってはいけない」を読んでいたり、あまつさえ安部司の講演会も聞きに行ったという。そっちの方が話が単純化されていて理解し易いのだろうか。しかし、自分の話もこれ以上端折ると誤解を生みかねないし、断言してスパッと言い切ってしまうのも難しいことが多い。誠実であろうとするほど、それら偽科学の言説には対抗が難しくなってくるのだ。

とにかく、日本の農薬の残留基準は非常に厳しいこと、流通段階でのチェック(ただし防除履歴の確認が基本で、残留検査はごく一部であること)がしっかりなされているので残留しているものが市場に出回ることはまずないことから無農薬にこだわることはほとんど意味がないことは(とりあえずその場では)納得してもらった。また、虫が食べているから安全などではなく、かえって危険な場合もあるということも話させてもらった。
「ほんなら結局はこだわらんと、品質と値段で選んだらええっちゅうことやね?」
「そうそう、そういうこと。気をつけるとしたら、いろんな食材を出来る限り満遍なく食べる、言うことかな」

彼女によると、自分のような立場の人間と話する機会はほとんどないらしい。だとしたら、世の中に氾濫する書籍やテレビでの言説に飛びつくのも致し方ないだろう。だって、それしか判断材料はないのだから。しかし、本当はその気になれば農林水産省のサイトなどいくらでも資料は出てくる。しかしそれらはあまり知られておらず、また敷居も高いと感じられているのだろう。そのあたりは自分らの力不足を強く感じる。とはいえ、あれだけきっぱり言い切るわかりやすい偽科学に誠実な対応で対抗するのは並大抵ではないだろう。

「これからは変なこだわりはせえへんようにするわ。急にはできへんかもしれへんけど」
「わかってくれた?」
「ううん、〇〇君の話はやっぱり難しくてようわからんけど、熱意もって話してくれたから、信用してみよかなって」
結局そこかい!(ぐったり)

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ベラルーシでのEMによる放射性セシウムの移行抑制試験について

以前のエントリーで福島県における各種資材によるセシウムの植物への移行抑制試験について取り上げた。その際、比嘉先生が他の資材での抑制効果との比較について考察せず、EMオーガアグリシステムの堆肥が対象区に対してセシウムの植物への以降量が少なかったことをもってEM資材は効果ありと判断されたことについて不備があることを指摘させていただいた。このような弱小ブログをご覧になっていなかったと思われるため、それに対する明確な反論はいまだに目にしないが、その代わりに次に挙げるような文章をいくつか発表しておられるようだ。

さて、今回比嘉先生が「甦れ!食と健康と地球環境」で取り上げた試験はベラルーシ共和国国立放射線生物学研究所アレクサンダー・ニキティン氏によるチェルノブイリ汚染土壌等を用いたEM資材による麦類、レタスへの放射性セシウム移行抑制試験である。内容については、そこに書いてあることは多少簡略化されていると思うが、とりあえずここにすべての情報が明らかにされていると仮定してこの試験研究から何が見えてくるのか自分なりに読み解いてみたい。

さて、試験方法の部分であるが、ポット試験ではどれだけの反復をとったのか明らかにされていない。まさか1ポットずつしかやっていないということはないだろうが、反復が少なければばらつきの程度がわからないので、減ったのは事実だと思うが、しかしこの結果ではそうですかその可能性もありますねとしか言いようがない。また、EM1とEMぼかしの成分が明らかにされていない。もし、これらの資材がカリウムを多く含んでいたのであればその影響がなかったとはいえまい。是非、そのあたりを明らかにしていただきたい。

レタスのほ場試験については、この図を見る限りにおいては対象区のみ1反復取っているが、試験区は反復無しとなっている。このようなほ場試験の場合、ほ場の位置や向きなどの影響を排除するため、位置関係を考慮して反復を取るのが普通である。また、比嘉先生は以前他の試験でEMを施用した区より対象区のほうがセシウム低減効果が高かった結果が出たときに「対象区に波動の影響が出たものと思われる」と仰ったが、それならば試験区と対象区を影響が出ないくらい離すべきであるし、このほ場図からすれば対象区にも何らかの影響が出ていなければおかしい。そこのところ、どう説明するおつもりだろうか。

さて、放射性セシウムの植物体への移行が減った原因について、追加実験で水溶性セシウム、交換態セシウムの量が減り、有機物結合部セシウム及び粘度鉱物結合部セシウムの量が増えたと主張されている。しかし、この部分の意味がよくわからない。有機物結合部セシウムとは有機物に取り込まれたセシウムのことだろうか。それともセシウムイオンが土壌中の腐植物質と結合したものという意味だろうか。また、粘土鉱物結合部セシウムについても意味がよくわからない。粘度鉱物は陽イオンを吸着する力が強いが、決して引き剥がせないわけではない。例えば、セシウムが吸着されていたとしても、他の塩基類(カルシウム、マグネシウム、カリウムなど)が土壌溶液中に存在すれば容易に置換される。つまり、置換性=交換態であると自分は理解していて、粘土鉱物結合部と交換態のセシウムのどこが違うのかよくわからない。また、有機物結合部セシウムが有機物として取り込まれたものでなく、腐植酸の陰電荷に結合しているだけのものとすればこれも交換態と同じ意味になってしまう。そのあたりどう違うのか説明してもらいたいものである。

もし、粘土鉱物結合部及び有機物結合部が私の考えているようなものであれば、植物は根から根酸という有機酸を出し、その水素イオンでそれらに結合している陽イオンを交換して吸収するものなのだが、それとはメカニズムが違うのだろうか。

通常、農業分野で土壌分析を行なう場合、交換性塩基類の抽出には酢酸アンモニウム溶液を用いる。詳細は省くが、酢酸アンモニウム溶液のアンモニウムイオン(陽イオン)で土壌粒子や腐植物質に吸着されている塩基類(陽イオン)を置換し、溶液中に溶出させて分析機器に掛け、測定する。なので、このようにして測定された塩基類を交換性あるいは置換性塩基類と呼ぶのである。

それでは、次に最後の文章の部分を引用してみよう。

-引用開始-
本年、福島県農林水産部からEM発酵堆肥により土壌中の放射性セシウムのコマツナへの移行が抑制されたという試験結果が報告されたが、移行抑制メカニズムとしてはEM発酵堆肥に含まれる可溶性カリウムの効果であると考察されていた。しかしながら、今回紹介したベラルーシでの研究成果では、EMの効果は可溶性カリウムによるものでなく、EMが放射性セシウムを植物の根が吸収しにくい形に変えていることによるものであることが明らかにされた。
-引用終了-

明らかにされた、と仰っているが、この試験内容では少なくとも「その可能性があることがわかった」程度であると思う。福島県の試験では、EM以外の試験区の結果から、カリウムの施用による抑制効果であると考えなければ説明が付かないと思うが、そのあたりはどう思われているのだろうか。カリウムの効果でないと仰るのなら、皆が納得する考察を披瀝していただきたいものである。また、今回の試験における疑問点もいくつか挙げさせていただいたが、それらについてはどこかで説明していただけることを期待している。念のため、以下にもう一度疑問点を挙げさせていただき、以前のエントリーと合わせて反論・説明をお待ちしたいと思う。

1 ポット試験ではどの程度の反復を採ったのか
2 EM1、EMぼかしの肥料成分はどのようなものか
3 それに合わせ、対象区と試験区で肥料成分量は同じにしてあるのか
4 レタスのほ場試験での反復は採っていないのか
5 レタスのほ場試験で対象区に「波動」の影響は出なかったのはなぜか
6 粘土鉱物結合部及び有機物結合部と交換態の違いは何か

私は研究職を離れて長いため、土壌肥料に関する知識のアップデートが遅れている可能性は否定しない。それでも、土壌肥料の試験研究を行なってきた経験を生かし、十数年ずっと最前線で戦ってきた自負がある。是非とも農学部名誉教授としての経験、知識によって私の疑問を払拭していただけることを比嘉先生には期待している。

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