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半夏生と解釈改憲

半夏生、という言葉を見かけて思い出したのだが、この日までに農家は田植えを終え、この日を休みとすることが多い。特に四国地方では「さのぼり」という田の神を送るという行事を行い、香川県では地区にもよると思うが打ち込みうどんを食べたりする。これがどじょううどんのところもある。

自分は直接その運営に関わっていないので詳しくわからない部分もあるが、その昔は農業関係の公的機関でもさのぼりの日はその行事が終わったあとは仕事をしなくて良かったらしい。お昼になると早朝から女性の臨時職員に出てきてもらい、大量のおはぎとうどんのだしを作ってもらっていた。

もちろん、早朝から働いていてくれた女性臨時職員の方たちには行事が終わり次第帰宅してもらっていたという。それらが正規の手続きを経て早朝出勤及びその振替休としていたのかは自分にはわからない。とにかく、現実にはそういう手順で行事が行なわれていた。

もちろん、現在の基準からすれば「良くないこと」なのだろう。いや、当時としてもやるべきではなかったのかもしれない。そこは自分にはなんともいえない。しかし、そういうものなのだ、と思っていたという事は反省も込めて正直に告白しておきたい。

ともあれ、そのように一定の人が懐かしがる「昭和の時代」は「情」によって都合よくルールが解釈され、運用されていたと思う。それはもちろん良い面もあった。「さのぼり」の例ではそれには該当しないと思うが、そういった「温情」によって救われた人もたくさんいただろうと思う。

しかし、人間というのは縛りがなければゆるいほうに流れていくことが多い。もちろんそうでない人も多いが、そういう情によってルールを緩く運用することを許すという事はそれを悪用する人物も必ず出てくる。さらに、明確なルールがなく、慣習だけしか存在しないならなおさらだ。

そういう場で人間関係を構築していく場合、特に立場が上の人間はしっかりと自分を律することが出来る人物でなければ、セクハラやパワハラを生んでいくのだろう。それが社会では「必要悪」と思われていたのが昭和という時代だったのではないだろうか(あえて昭和で区切っています)。

だから、「情」で救われていた、そのおかげで生きやすかった人達が自分にとっての「古き良き」時代を懐かしむのはよく理解できる。大きな逸脱がなく、全体としてその方が効率よく仕事などが回っていくならそういう緩い社会のほうが生き易くていいのだろう。

自分などは勤勉には程遠い人間なので、そういう緩いルールをうまく回していく社会のほうがうれしいが、しかしそれだと現代においてはデメリットのほうがはるかに大きいのだろう。自分の周りでも、そういう慣習的な部分を自分に都合よく解釈して周りに迷惑を掛けている例がある。

社会的な例で言うと、わかりやすいのはセクハラ、パワハラだろう。また、食品関係では豚のレバ刺しを店で出す、などだ。これらは明文化されたルールがないのをいいことに、自分に都合の良い解釈をした結果、より厳しい社会を生み出し、自分で自分の首を絞めているわけだ。

色々ルールは細かくなって、一見厳しいようだけどそれはみんなが安心して平等に暮らすために少しずつ改良されてきたものだ。もちろん完全ではないけど、そのおかげで救われている人は昔より増えているはずだと思いたい。間違っているなら、きちんと手続きを経てルールを変えるべきだ。

だから、今回の内閣が推し進めている解釈改憲はその内容の是非はおいておくとしても賛成できない。こんなことをしていると現行政権は必ず痛いしっぺ返しを食らう。そうでなければこの国の行く先は真っ暗じゃないか。

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