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2013年7月

自閉症や知的障害について思ったこと

今回のエントリーは、素人が今までの経験から感じたことをつらつらと書き連ねたものです。すべての意見が完全オリジナルではなく、ツイッターなどのネットからパクったものもありますが、もう誰の発言だったかも追いかけられないので、「自分のがパクられてる」と感じられた方はご遠慮なくつっこみ願います。それから、思ったことをつらつら書いているだけで、何か解決策を提示しているわけでもないのですが、そちらについてはつっこまないでいてくれるとありがたいです。

プロフィールにも書いてあるし、すでに知っている人も多いと思うが、うちの長女は重度の知的障害を伴う自閉症である。重度の知的障害であるため、彼女の欲していること、うれしいことなどがわかりにくいためかもしれないが、一般に言われているような強いこだわりや生活のリズムやスケジュールが変わることに対する抵抗もあまり感じられないので、本当に自閉症なのか、と思うことも時々ある。しかし、欲しいものがあったときに他人の手を引いて誘導しようとするクレーン現象や視線を合わせることを嫌う、ロッキング(上体を揺らす)などの自閉症に特徴的な行動もあるため、おそらく自閉症だとは思われるのだが。

うちの長女の場合、黙って座っていれば知的障害があるとは思えない落ち着いた雰囲気ではある。しかし、たいていすぐに動き出して奇声を発する、所かまわずロッキングする、あらぬ方向を見ながら手首から先を激しく振る、など近くにいる人がぎょっとした顔でこちらを見るようなことをしでかす。正直言って、静かにしなければならないところには連れて行けないし、大勢の人がいるところでは非常に気を使う。しかし、逆に言えばはっきり知的障害者だとわかるため、特に説明は不要なのは気が楽な点である。往来でも大概の人は見て見ぬ振りをしてくれる。手間はかかるが、割り切りはしやすい。

なので、境界線上の人達や高機能自閉症などの人達は逆にしんどいのだろうな、と思う。話せるのに、コミュニケーションがとりづらい、他人の気持ちを汲むことができにくい、など変人と見られたりすることもあるだろう。療育手帳などを交付される人はまだそれを使えば説明できなくはないが、それでも理解を得るのはかなり面倒だと思うし、かなり消耗する作業だと思う。

そうやって、養護学校などでいろんなパターンの、そしていろんな段階の自閉症や知的障害者を見ていると、そういうものって単に突出した個性なのだろうなと思う(いまさら言うな、と多数の方からつっこまれそうだが)。私自身は一応「健常者」の範疇にカテゴライズされているが、ものの感じ方、考え方を周りの人間と比べて「俺はおかしいんじゃないか」と思うことも多々ある。周りの人の感じ方の平均的なもの(と自分が感じる)と自分のそれに結構大きな距離を感じることもあるのだ。考え方についてはこれまで歩んできた人生が凝縮されたものともともと持っていたものが融合したものかと思うが、感じるということについてはもともと持っていた性質の方が影響が大きいように思う。怖いと感じる、楽しいと感じる、好ましく感じる、それをそのまま全部表に出していたのでは迷惑極まるので抑えるべきところは「理性」で抑えているが、基本的に「感じてしまう」ことはどうしようもないだろう。その個性が今の社会デザインに合わなければ「障害」とされてしまうのではないだろうか。

もちろん、そういった社会デザインというものはより多くの人が暮らしやすいように設計されている(少なくともそれが目指されているはず)。ただ、今の日本では「例外である障害者」に対応できる部分がまだまだ足りないのだろう。「健常者」なら何とか自分を社会に適応させて生きていけるが、「障害者」はそのままでは生きていきづらい。うちの長女のようなはっきり障害者とカテゴライズされるとそれなりに社会が対応してきてくれるようになってきたが、境界線上で、特にぎりぎり「健常者」にされてしまう人は社会の対応や他人からの理解の難しさなどでより生きづらい状態になっていると思う。

ただ、社会デザインはより多くの人に合わせてあるというだけで、それが理想なのかどうかはわからない。今の平均的人間像(なんてものがあるのかは置いといて)自体が正しいものかどうか、というより「正しい」という概念が存在するかどうかもわからない。いや、多分ないのだろう。人間の脳がたまたまこういうように発達したというだけで、それに合わせて社会も発達してきたというだけではないのか。

逆に言うと、「健常者」の範囲内での個性というのも、社会に適応できる範囲内での発達のバランスの問題なのではないか。ほとんどの人が気づいているように、障害者と健常者ははっきり別のものとして分かれているわけではなくて、グラデーションのように連続している。そのバランスが許容(という言い方は適切ではないかもしれない)できる範囲をはみ出ているかどうかの違いでしかない。

そういった「許容」を社会全体で柔軟に運用して、すべての人が生き易い世の中を実現するのは、「完璧な人」や「完璧な社会」を定義することがおそらく不可能な以上、無理なのではないかと思えるようになって来た。しかし、実情に合わせてよりよい方向へ少しずつ変えていくということは出来ると思う。ごつごつの岩を少しずつ角を削っていけば、いずれ球に近づいていくように、完全な球になり得なくてもそれを目指していくことはあきらめないでいたいと思う。

このように思えるようになったのも、近年のネットでの交流によるところが大きい。それらの考え方を私に与えてくれた友人たちに感謝したい。

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求められる「断言・言い切り」と指導者の意識のギャップ

今の仕事(農業技術の普及・指導)をするようになってから、色々と技術者と生産者の意識の違い(良し悪しではない)について色々と考えさせられることが多い。特に、試験研究から普及・指導に変わったとき、研究者として良かれと思ってやっていたこと、この試験はいい結果が出たと満足していたこと、その意識がそのままでは栽培の現場では通用しないことに驚くと同時に自分の内弁慶に落胆もした。

それはとりもなおさず、自分が農家出身ではないこと、試験場在籍中はほとんど現場に出る仕事にかかわってこなかったことが大きいが、そういうことを意識すべきと考えることがなかった自分の姿勢も大いに反省すべきところではあるが、過ぎてしまった過去は取り返せないので、ここから先の自分の仕事振りで穴を埋めていくしかないだろう。このブログにおける活動も、その一端であるといえる。
さて、今回取り上げたい意識のギャップとは、一般消費者も農家もはっきりした「結論」を求めてくるのに対し、われわれ指導をさせてもらっている立場からするとなかなか「こうだ!」とは言いづらいことが多い、ということだ。

よく言われるのが「結局、どの農薬が一番効くのか」など最高の結果を出せるものをはっきり指定せよ、といったようなことである。とにかく、白黒つけたいのだ。しかし、農薬の効果などは気候や抵抗性発達の地域差などによって違うし、発生の状況によってどういった作用をする農薬がベストなのか変わってくる。場合によっては殺虫・殺菌効果ではベストといえる農薬をあえて使わないという選択肢もありうる。

それはなぜか。たとえば、発生量がそれほどでもない時期に、効果は高いが栽培期間中1回しか使えない農薬を使ってしまった場合、その後に大発生が起きても対応できる農薬がない、ということになりかねない。であれば、そのときそのときの発生量をモニターし、被害の大きさを見極めながらそれほど効果は強くない農薬をあえて使う、ということも考える。また、毎年の発生消長を調べ、大発生が起こりそうな時期の少し前に効果の高い農薬を使い、発生ピーク時の密度を抑制するという考え方も出来る。

そのようなことや、収穫までの期間、周囲の状況などを勘案してどの農薬をどんな組み合わせで使用するかを決定する。とは言っても、それが本当のベストなのかどうかは判断のパラメータが多すぎて確実なところはなかなかいえない。なので、選択肢をいくつか提示して選んでもらうというやり方をしたいところなのだが、そういった「自分で考えて選ぶ」という行為を嫌がる人も結構多いのだ。だから、農業改良普及員にしても、JAの営農指導員にしても、いろんな提案ができ、なおはっきりものを言う指導者が喜ばれ、人気が出る。

長いこと試験研究をやってきた自分にとっては、これになかなか慣れなかった。今でも、防除について指導するときは「〇〇(農薬名)をやってください」とはっきり言うのは言うが、そのメリットデメリット、その他の選択肢やその理由なども出来るだけ話すようにしている。予防線を張っている、といわれても仕方ないが、はっきり断言して言いっ放しにはなかなかなじめないのである。それでも最近は実質的に違いがなければ、断言っぽくいってしまうこともあるか・・。「ここに農薬名と、何リットルの水に何g入れたらええか書いといて」となることもしばしばあるからである。

二つ前のエントリーFood Watch Japanでの岡本信一さんの記事について言及したが、日本農業の品質や収量の問題には、小規模農家が多数存在する構造的問題に加えて、こういった農家の意識の低さにも原因があるのだろう。しかしそれは、農家側だけの責任ではない。日本の農業の生き残りを考えるなら、行政もJAも一体となった活動が必要になってくるのだろう。

その中で、個別農家としての生き残りを図るなら、普及員やJAをうまく利用しながら経営も技術も自分で考えていける農家への脱却を図っていくべきだ。事実、そういった構造への転換はかなりゆっくりではあるが始まっていると思う。ただ、自分にはまだその着地点は見えていない。その着地点を見ることが出来るかどうかもわからない。しかし、よりよい着地点を目指して模索し、あがき続けていきたいと思っている。

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