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2012年4月

愛犬リュウのこと

今回は単なる自己満足というか、どうしても書き留めておきたくなったので、書いておく。13年前に失踪したまま帰ってこなくなった飼い犬のリュウのことである。

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本当は動物を飼うつもりなどなかった。犬を飼えば毎日散歩に連れて行かねばならないし、泊まりで出かけるときにはどこかへ預けなければならない。動物は心の安らぎを与えてくれる代わりに面倒も持ち込んでくるからだ。

しかし、敷地が半分山林になっているような職場にいたとき、そこへ野犬が住み着いた。その野犬が子供を生んだのだ。野犬とは言え、近くの池の改修工事に来ていた作業員の人からえさをもらい、ずいぶん人には馴れていた。だから、本当はいけないことだがその子犬たちにも作業員の人たちはえさをやり、池の工事が済んでからはうちの職場の人がかわいがっていた。

ところが、そのときの職場は温室で花を展示して公開したり、組織培養で花や野菜の苗を増殖する施設だったのだが、そこへ全国行事でやってくる皇太子さまが立ち寄ることになった。さあ大変。警察や消防が大挙してやってきて、施設の安全性をチェックするという。周辺の山林は徹底的に野犬などを排除するという話になった。そこで、親犬は一番かわいがっていたYさんが連れて帰ることになった。残った3頭の子犬をどうするかという話になったとき、自分になついていた1頭と目が合ってしまった。なつかせていた時点でダメだったのだ。そんな風に、職場近くの山林でずっとそういう関係でいられるはずもなかったのに・・・。

そんなわけで、その1頭は私が連れて帰ることになった。残りの2頭は臨時職員の人が連れて帰って飼い主を探すことになった。その子犬たちの消息は知らない。とりあえず連れ帰った子犬にリュウという名前をつけ、まだ子供のいなかった私たち夫婦の「名誉長男」となった。

子供がいなかったこともあって、車に乗せてあちこち連れて行った。誰もいない広い河川敷で(ホントはいけないかもしれないけど)リードを外し、自由に走らせてやった。そんなとき、野ウサギを見つけて追いかけて走っていき、なかなか見つからなくなってしまったこともあった。

そうこうしているうちに長女が生まれ、長男も生まれた。長女は怖がって近づかなかったが、長男は仲良くなり、おもちゃを取り合ったり(てな事をしていても噛まれたことはなかった)、一緒に犬小屋に入ったりしていた。
そうそう、長男がまだハイハイしかできなかった頃、リュウの犬小屋からすぐ近くの吐き出しの窓が開いていて、長男が外を見ようとしてかハイハイで窓から出ようとして50センチくらいの高さから落ちそうになっていた。それを見つけたリュウが「危ないぞ!」とでも言うように必死に吠え、それに気づいた嫁が見つけて事なきを得た、ということもあった。まぁ、落ちていたところでたいした怪我はしなかっただろうが(笑)。

それから、リュウは身内とそうでない人を見分ける能力に長けていた。というか物覚えが良かったのかもしれない。月に1度くるか来ないかくらいの義父や義母、義妹たちを完璧に覚えており、他人が来たら必ず吠えるのに、義父たちには全く吠えない。それどころか遠くに住んでいるため年に1度程度しか来ない私の両親すらちゃんと覚えていて吠えない。なので、吠え声が聞こえないのにいきなり玄関が開く音がしてビックリしたら親父が出張のついでにうちに寄った、というオチだった。

そんな賢いリュウだったが、ある正月、帰省のために嫁の実家に預けていたところ、鎖を外して脱走した。何があったのかはわからない。義母によると、様子がおかしいので見てみると鎖を引きずって道路に出ており、オートバイに追いかけられるようにして遠くへ走り去ったとのことだった。ずいぶん探してくれたようだが、見つからなかったと。

そのとき、パソコンでポスターを作り、嫁の実家近所に張らせてもらったり、車で走り回って名前を呼んでみたりしたがどうしても見つからなかった。その後も、似たような犬を見かけるたび名前を呼んでみたが本人に会うことはできなかった。7年間飼い、それから13年経つのでどう考えてももう生きてはいまい。

あれだけ賢いやつだったから、嫁の実家くらいからなら自力で帰ってこれそうなものだが、何かあったのか。事故でも起こしたのだろうか。

とにかく、もう一度会いたいという希望はずっと持ち続けていたが、かなわなかった。もう届くことはないが、おまえのことはずっと想っていたよと言いたい。そして、できることなら親切な人に引き取られて、幸せな一生を送ることができていた事を願うばかりである。

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農業の観点から見たEMぼかしの問題点と活用について

今までにも何度か取り上げてきたと思うが、有機質資材としてEMぼかしというものが市販されている。また、有機志向の農業、園芸関係のサイトで取り上げられていることも多く、愛好者は多いようである。

EMぼかしとは、EM菌と呼ばれる微生物資材を利用して作られたぼかし肥料である。EM菌とは琉球大学名誉教授の比嘉照夫氏が開発した有用微生物群(Effective Micro-organisms)の総称で、光合成細菌、酵母、糸状菌、放線菌、乳酸菌など2科10属80種を含むとされている。また、ぼかし肥料とは、そのままでは肥料成分量の高すぎる有機質肥料をオガクズやもみがらなどを混合したり、または大量の土壌と混合して薄め、発酵させることで「ぼかし」、その効果を緩やかにしたものといわれている。EMぼかしの場合は前者のことを指すものと思われる。

ではまずEMぼかしの作り方を簡単に解説したい。材料としてはもみがらなどの有機質資材を使う場合が多いようだ。もみがらにEM菌と糖蜜を希釈したもの、米ぬかをよく混合し、適度な水分量にして蓋付きのバケツやビニール袋など密封できる容器に入れ、2~3週間発酵させて甘酸っぱい発酵臭になったらできあがりとのことである。また、表面に白っぽいカビが生えることもある。もみがらに米ぬかを混合するのはもみがらだけでは炭素率(C/N比・炭素:窒素)が高すぎ、発酵が進まないためと米ぬかは乳酸菌の供給源にもなるからというのもあると思われる。
ここで、密封できる容器を使うのは酵母や乳酸菌など嫌気性菌による発酵を行うためである。しかし、ここで疑問が生じる。一般的に有機質資材を発酵させて作る堆肥は切り返しを行いながら好気的に行うのが普通である。これは一般的な土壌中では圧倒的に好気性菌の占有率が高いからであり、乳酸菌などが土壌中でどのように働くのかはよくわかっていない。また、嫌気的発酵で生じる乳酸などの有機酸やアルコール類は普通は植物の根にとって阻害要因にしかならない。このため、浅学な私には有機物をわざわざ嫌気的発酵させる意味が分からないのである。しかも、EMぼかしの作り方を紹介しているサイトでは出来上がったEMぼかしはすぐに使わず、広げて乾燥させたりしておいたり、土壌に施用して数日~1ヶ月待ってからなどと書いてある。しかしそうすることでEMにも含まれている好気性菌が働いて化学的性質は変わってしまうのではないだろうか?pHが低すぎるためすぐにはそうならないのだろうか?いずれにしても、土壌中に施用された場合土壌の緩衝力によって中和(という言い方はちょっと語弊があるが)され、土壌中の好気性菌によって発酵が進み、堆肥化していくと思うのだが。

ここで、比嘉先生が総監修を努める「EM環境革命」という書籍を見てみると、物質は酸化によって劣化していくので嫌気性菌によって抗酸化力を養成することが大事であるというようなことが書いてある。また、目に見えないエネルギー(波動?)が働いているようだとも述べている。物質的な現象に着目すれば、なんだかよくわからないEMぼかしの効果であるが、このような理由から土壌改良や植物の生育に良いとされているのである。しかし、まったく意味が分からない。申し訳ないが、このあたりのツッコミに関しては自分の手に余るので、こちらとかこちらを参照いただきたい。

先ほども述べたように、通常堆肥は発酵しやすいように炭素率や水分含量を調節し、好気的に切り返しを行いながら発酵させていく。嫌気的に行った場合、腐敗する(微生物の作用が有害に働く)ことが多い。完熟堆肥とはこのように発酵させ、植物の生育に障害がない状態になったものを言う。このため、EMぼかしは堆肥としては完成した状態とは言いがたい。EMぼかしは有機質資材の原料としてそれ自体悪いものではないと思うが、畑に施用するならさらに好気的発酵を行い、しっかり堆肥化してから使うべきなのではないだろうか。

それでは、ついでなので完熟堆肥の簡易判定法について述べておきたい。

1 やや暗めのこげ茶色であること
  有機物が分解されてできる腐植酸の色
2 適度な水分であること
  発酵熱で水分がかなり蒸発しており、軽く握って固まるがすぐ崩れる程度
3 アンモニア臭や生糞のにおいがしないこと
  発酵臭は残ることもある。特に鶏糞など。
4 発酵熱が収まっていること
  まれに完熟判定後でも発熱する場合がある

ただ、完熟堆肥の判定は達観で完全にやるのは難しいため、あくまで目安と思っていただきたいが、ほとんどの場合こういう判定で植物に害が出ることはない。EMぼかしも有機質資材の原材料としてこのような点に注意して使っていただければ材料などから考えてまず問題ないと思われるが、土壌肥料学会の報告(pdf)では特別にいい結果は得られなかったという点については留意していただきたい。

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栽培の指導と現場感覚

この4月に人事異動によって担当地域が変わった。拠点とする事務所の場所が変わり、ほとんどなじみがない土地で巡回・指導をしなければいけなくなった。しかも、担当する品目も変わった。一応、以前と同じ野菜担当ではあるが、以前の勤務地ではイチゴ、ニンニク、ネギ、タマネギ、モロヘイヤだったのが今度はアスパラガスとトマト類である。
このどちらの品目もほとんど関わった事はなかった。指導の仕事はおろか、以前試験研究をしていた時でも関わっていなかった品目である。なので、結構ストレスを感じている。トマトは産休職員のピンチヒッターで時期限定での担当なのでまだ気が楽だが、いい加減な仕事ができないのは同じことである。

それにしても、新規品目を担当することになって一番困るのが「現場感覚がない」ということだ。今まで経験のない品目を担当するに当たって、当然その栽培マニュアルや関連書籍などを読み込み、覚えるということは最低限行うわけだが、書いてあることが結構抽象的であることがある。アスパラガスの場合、「収量が減少してきて茎の先端が開いたり、曲がった茎がでたり、細くなり始めたりしたら〇〇する」という表現があるが、どこからどこまでが開いているのかとか細いものばかりというのがどのくらいなのか見比べるべきデータが頭に入っていないため結論を出すために、あるいは農家さんに選択肢を示すのに時間がかかって仕方がない。
もちろん、これから行かせていただく現地で色々なデータをとって、初めのうちはデータを元にして機械的に栽培管理の話をしていくことになる。それでたくさんの現場を見ているうちに応用が利くように自分の頭を鍛えていくわけである。それが自分の考える「現場感覚」というやつなのだ。

今まで担当していた品目では、イチゴでは2年目で少しものが言えるようになり、3年目で「現場感覚」が身に付いたように思う。時期ごとの理想とする姿、市場価格との関連、気候や病害虫の発生状況などを総合的に勘案して対応策を提示する、ということができるようになった。ただ、常に100%ベストのものがいえていたかどうかというと自信はないが、困ったり迷ったりしている人によりベターな選択肢を示すことはできていたのではないかと自負している。他の品目も似たようなものであるが。

それにしても、農家さんはご自身の生産物に日々触れているのだからわれわれのような指導の仕事をさせていただいている人間よりは現場感覚はより強いはずだと思うが、われわれの利点は「より多くの他の農家さんと比較することができる」ことに尽きると思う。それによって、その場その場での相場観(市場価格ではなく、栽培現場における「適切」の感覚)が形成されているのが大きいのではないかというわけだ。もちろん、それ以外にも立場上情報が収集しやすいということもあり、新技術に関する情報提供は常に求められているところである。

とりあえず、地域のことも品目のこともよくわからない今、頼りになるのは地元のJA担当者の方々である。まずは彼らに頭を下げて、現地を連れ歩いてもらうしかない。現場感覚もそうだが、まずは道を覚えなくては・・・。

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