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2011年11月

小麦戦略と米消費量について

どらねこ(@doramao)さんがのエントリー「小麦戦略でお米が衰退したのか【前編】」を読ませていただいて、思うことがいろいろあり、長くなりそうなのでこちらもエントリーを起こしてお応えする事にした。

まず、どらねこさんのエントリーは「荻原由紀著、パンとアメリカ小麦戦略「べき論」に惑わされないために【前編・後編】」という「技術と普及」に掲載された記事を元に、アメリカの小麦戦略が日本の米消費量を減らしたと言う説は誤りであると言う荻原さんの説を検証している。自分はこの「技術と普及」は立場上毎号購読しており、この記事も読んでいるはずだが記憶にはない。また、毎号おいておくと膨大な量になるため手元にも残していない。なので、職場の書庫のからあるかどうかわからないバックナンバーを探してくる事になるのだが、勝手ながら今回それは勘弁してもらいたい。

荻原さんは非常に丁寧にデータを積み重ねて検証するタイプの人で、その人柄が良く現れている記事のようである。過去に、荻原さんが講師を務める研修を受けたこともあるが、そのときも盲目的な地産地消運動や食の欧米化説に対して、データや事実関係の調査から疑義を唱えるような内容であったが、そういう事実関係から読み取れる以上のことは言わない、誠実な感じのする説得力のある講義であった。

そんな事からも、荻原さんのこの記事はどらねこさんから少しだけ突込みが入っているものの十分信頼に値するものになっていると思う。

ただ、自分としても気になった点はある。荻原さんは私が聞いた講義で農村等における伝統食の話でご自身がおっしゃっていたのだが、昭和初期以前の農村等肉体労働を行っている人たちの食事はカロリー重視のため塩辛い少量のおかず(漬物など)に大量の雑穀飯であったということにも今回の記事で言及されているのだろうか。どらねこさんの指摘に対する補足でしかないが、とにかく農村部等では肉体労働に耐えるカロリーを確保するため、米が量的な割合で大半を占めていたようである。

さて、うどんが減ってパンが増えたという説についても否定されているが、荻原さんも指摘されているように香川県ですらうどん用の小麦粉はそのほとんどをオーストラリア産のASWが占めているのは事実である。香川県ではうどん用小麦「さぬきの夢2000」を開発し、栽培面積を増加させ、その使用を売りにしているうどん店も増えてきたほか、「さぬきの夢2009」も新たに開発するなどがんばっているが、香川県内の小麦栽培可能耕地ですべて小麦栽培を行っても香川県内の需要すらまったく満たすことはできないのである。ちなみに、香川県で使用されているうどん用小麦の量は平成21年で約6万tであり、平成23年(年度がずれていて申し訳ないが)における小麦の作付面積は1750haなので10aあたり300kgの収穫があるとして1750×(1haあたり)3t=5,250tとなるので10%に満たない。つまり、小麦の消費がパンからうどんに変わったとしてもほとんど影響はなく、またアメリカの陰謀であるならオーストラリア産がこれだけのシェアを誇っている現実の説明がつかない。
ちなみに、ASWとは特定の品種名ではなく、複数の品種群を指す。単一の品種であれば、気候などによる年次変動で品質が変わる恐れがあるが、ASWは年次変動をなくすために複数品種を年によってブレンドを変えながら供給しているため品質が安定している。実儒者の要求に応えるための合理的な考え方が伺える。
ちなみに、自分がうどん関係者から聞いたASW及びさぬきの夢2000評はASWは製麺適性に優れ、色も白く、腰のある麺が誰でも作れる。その一方で特徴に乏しく味が薄っぺらい。対してさぬきの夢2000はASWより圧延強度等で劣り、製麺適性もASWに比べれば低いが、従来の国内品種よりは優れており、白すぎないうどんらしい適度な色で香りなどにも特徴がある。腰のある麺に仕上げるためには塩分など気温にあわせた調節が必要であるが、技術のある職人が打てばASWに劣らない麺ができると言う。さぬきの夢2009は製麺適性がさらに優れていると聞いている。

話が随分それてしまった。

とにかく、食料自給率を上げて稲作及び水田を守るためには米の消費を増やすことは有効ではあるが、小麦を攻撃対象とすると水田裏作としての国産小麦にも悪影響がでるし、そういった意味からもあまり筋の良い話ではないだろう。
といったことから、荻原さんの主張にも、それに対するどらねこさんの見解にもおおむね同意である。目的が正しければ手段が間違っていてもいいということにはならないはずだから。

関係ないが、数年前に受けた荻原さんプロデュースの研修では、大阪大学サイバーメディアセンターの菊池誠教授も講師であった。その研修を希望した理由はまず第一に菊池さんの話を聞きたかったから、と言うのもある。しかし、荻原さん自身も他の講師の方々の講義も面白かったし、勉強になり、事前に思っていたより充実した研修だった。荻原さんはいろいろな意味で優秀な人材なのだろう。

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瀬戸内海1/3周(くらい?) 瀬戸大橋~淡路鳴門道

さて、今月某日瀬戸内海を約1/3周するツーリングに行ってきたので、その様子をレポートしてみたい。

起床は朝6時30分。本当はもっと早く起きるつもりだったが、前日事情があって夜更かししていたので、これでも辛いくらいだった。しかし、これ以上遅くなると日帰りで予定のルートをこなすことは不可能だと思い、いつも仕事に行くのと同じくらいの時間に起きた。で、7時半過ぎに出発しようとしたところ、急な用事で30分ほど遅れ、結局出発は8時前になるという体たらくであった。

自宅を出発し、下道を走って坂出北インターへ。瀬戸大橋は4輪では何度も走っているが、2輪では初めてである。ちなみに、途中の与島までなら歩いて渡ったこともある。

とりあえず与島で写真を撮るだけのために降りる。と言っても、与島では一般車両は出ることができず、サービスエリアに降りるだけである。しかし、降りるときは2周近く回るループ橋が面白かった。実は休暇を取って平日に行ってきたのだが、思ったより人は多かった。まずは降りてすぐ橋の西側エリア。南北備讃瀬戸大橋(香川側)をバックに一枚。モロ逆光のためあまり橋がきれいに撮れなかった。ストロボを焚いてみたりもしたが、結局きれいにならなかった。

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今度は東側エリアに行ってみた。こちら側はいったん降りてからわざわざこなければならないためか、西側よりも人影はまばら。瀬戸大橋開通時には京阪が経営していたフィッシャーマンズワーフもこの12月1日から営業を休止するという。寂しいが、自分から見てもあまりお客さんを引きつける何かを感じることはできない。橋の反対側にいったん降りた人がこちら側までわざわざやってくる理由に乏しいのだ。写真は、岩黒島・櫃石島橋をバックに撮ってみたが、バイクを入れてきれいに橋が見えるポイントが見つけられなかった。そういうポイントを作ることも大事なのではないだろうか。

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再び本四高速にもどり、児島ICで降りる。ここから海沿いを走って瀬戸内海が広く見渡せるという金甲山へ登る予定だったが、無謀にも知らない土地で裏道から上がろうと目論んでいたため、その道があまりに細く見つけられず、金甲山がある半島を海沿いに一周してしまい、これでは時間が足りなくなると判断してそのまま岡山ブルーラインへ向かうことにした。今回これで少し土地勘ができたので、いつか、もう一度似たようなルートで走ろうと思っているが、そのときにリベンジしたい。しかし、児島ICから金甲山に至る海岸沿いも海のすぐそばを走り、瀬戸内の多島美が非常に印象的なルートである。岡山近辺のツーリングを考えておられる方にはここも是非ともオススメしたい。

岡山ブルーラインも途中で降り、牛窓海岸を走ろうと思っていたが、もう昼近いため、これもあきらめてそのままブルーラインを走る。片上大橋で写真を撮りたかったが、対向車線で停車スペースもなく、バイクを止めるポイントを見つけられず。ここも少しブルーラインから外れたところの方が写真ポイントはあるようだ。しかし、これもなかなかの絶景なのでリベンジの対象に(笑)。

いずれにしても、これらはあくまで今回はついでであり(出発が遅れたための負け惜しみ)、最大の目的は赤穂御崎~はりまシーサイドロードである。ブルーラインを備前ICで降りR(国道)250へ。赤穂市街地へ入ってからR250をはずれ、赤穂御崎へ。ここから瀬戸内海、家島諸島の眺望がすばらしいときいていたが、この日はややガスが出ていて、島影ははっきりと見えない。いい写真が撮れそうなポイントはあったものの、海と、白っぽい空しか写らなかった。

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ここの展望台で缶コーヒーを飲み、しばし休憩してr(県道)32へ。この道が適度なワインディングで眺望も良く、非常に楽しいルートだった。このr32は土日祝日は二輪通行禁止になるらしい。平日に来たのは結果的には大正解だったと言える。
途中でr32はR250と合流するため海岸沿いのr458へ入る。この道で、坂越地区からすぐ近くに生島にある大避神社の御旅所が見える。通り過ぎた後でここも写真に撮っておけば、と思うが引き返すのも面倒だったので、これも次の機会に(こればっか)。

途中からなぜか道はr568となり、相生火力発電所の脇を通ってすぐトンネルに入るが、このトンネルを越えるとすぐに2つの吊り橋を連続して工場の上を通る結構面白い景色が見られた。何の工場なのかはgoogleマップには記載されていないのでわからなかった。
さて、その少し先でR250に合流し、いよいよ本日のメインイベント、はりまシーサイドロードである。噂に違わぬ気持ちのいいワインディング&絶景ロードである。やや曇った空気のため家島諸島はうっすらとしか見えないが、それでも非常に気持ちのいい景色が続く。左右への切り返しも非常に楽しい。このあたり、CB400SFは良くできたバイクだと思う。ヘタレで腕もない自分だが、(そんなに飛ばしてるわけではないが)きれいにラインをトレースしてくれるのである。
途中、室津という漁港の町並みが目に入った。ここは町へ入っていって散策するとなかなかいいらしいが、もうお昼を回っているので写真だけ撮っておくことにした。見ていただければわかると思うが、小さな湾を取り囲むように海の際まで家が建ち並んでいる。これも次回の(以下略)。

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このままR250を走り、高砂~播磨~明石~神戸へ至る。神戸では震災モニュメント巡りを(以下略)。

予定から大幅に遅れ、気がつくとすでに日が落ちかけている。昼食を済まし、ちょっとお茶を飲んで休憩しただけのつもりが・・・。できるだけ夜間走行は避けたかったので、出発することにした。国道2号線を明石方面へ向かい、垂水ICから神戸淡路鳴門道へ。それにしても、明石海峡大橋が見え始めてから垂水ICがすごく遠く感じた。道路標識は↑神戸淡路鳴門道と出ているのだが、ホンマにこれでええの?と思うくらい山手へ走っていく。冷静に考えれば、淡路島側から明石海峡大橋を渡りきったところで垂水ICまではすぐに非常に長いトンネルをくぐるので、下道で走れば海沿いからは結構時間がかかるはずだが、もう暗くなっていて、距離感がわかりにくかったためかよけいに遠く感じたのだろう。

明石海峡大橋ではもうすでに景色は全く見えないほど暗くなっていた。夜景を撮りたかったので淡路ハイウェイオアシスにいったん入る。ここから明石海峡大橋をバックにCBを撮りたかったのだが、ビューポイントまでは当然バイクは入ることはできない。このため、駐輪場からの半端な写真になってしまった。しっかりいい写真にしようと思ったら、やはり一度高速から降りなければならないのだろう。

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後は一気に帰るだけである。とにかく無事に帰るためペースは抑え気味に走った。それでも景色がほとんど見えない状況でのライディングは非常に疲れる。そのため南淡PAでトイレ&お茶休憩。スマホでツイッターの未読を処理しながらしばしくつろいだ。

そこから鳴門海峡大橋を渡り、鳴門ICで高速を降り、後はひたすら下道である。家に着いたら予定から3時間遅れの午後8時半であった・・・。また同じようなルートを走りたいが、今度はもっと写真をいっぱい撮ろう(笑)。

総走行距離は約390km。CB400SFの燃費はおよそ25km/lとまずまずの好燃費だった。てか、VTRとあんまり変わらん・・・。

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本当の意味での「自然農法」は存在しない('11.11.18追記)

以前にもこのテーマでは何度か書いているが、エントリーにまとめたのは2年も前になるので、改めて問題点を洗い出してみたい。

まずはごくごく普通に考えて「自然」と「農法」という言葉同士が矛盾している。人工というものが「人の手によって改変されたものあるいは作り出されたもの」と解釈するなら「農法」あるいは「農業」はどう考えても自然ではない。たとえば、「自然工業」などというとほとんどの人が「んなもんあり得ん」と言うと思うが、言葉の意味としては「自然農法」とあまり変わらないのである。

野菜類の原種には人間にとっての有害物質を含んでいるため、食用にできないものも多い。現在食用とされている野菜でもジャガイモなどはその芽の部分(まれに表皮にも)にアルカロイド※を含んでおり、食中毒を起こすことがあるし、ホウレンソウの多くはシュウ酸を含んでおり、あく抜きをしないと食べられない(最近はサラダ用ホウレンソウとしてあく抜きしないで食べられるものもある)。そんな中から、毒性の低いものを選び出し、品種改良と言う人為的改変をしたり、可食部分のみを工夫して取り出したり、前述のようにあく抜きと言う人為的行為を通じて食べられるようにしているのである。
つまり、現在流通している野菜類はすべて「とりあえず表面上は問題なく」食べられるように、また効率よく収奪できるように人為的に改変されているものばかりである。毒もなく、可食部も大きく、栄養価も高い。また病気や虫にも弱いものが多い。いかに人工的に合成された農薬や化学肥料を使わない農業を実践していても、こんな不自然な植物で単一の植物相を形成している状態のどこが自然なのだろうか。

本来、自然状態であればその場所ごとの環境に適応した植物や動物などが複雑な生態系を形成している。本当の意味での自然状態ですごしたいならそこにある可食の動植物をそれらの生物たちとシェアするべきなのではないか?それこそ人間の意志で動けるはずのない植物を都合の良い場所に動かしたり、自由に動けるはずの動物たちをひとつの場所に集めたりしてはいけない。人間が利用できない(食べられない)動物が自分の食べたい植物を先に食べてしまわれてもそれは正当な生存競争なので仕方ないのである。人間が食べられない植物が土壌中の栄養分を吸収してしまったがために、食べたい植物がうまく育たなくてもそれが自然と言うものである。突き詰めれば、そこに「意志」や「知恵」が介在すれば狩猟、採集すら不自然であると言える。自然とは本能に任せて捕らえ、食うのみであろう。

また、「農地」もきわめて不自然で人工的なものである。畔を作り、水をため、稲作を行う。人間に都合の良い水稲を育てるため、代掻きを行い、水稲が育ちやすい水深を保ち、時期が来れば水を抜いて中干を行う。こういう作業に都合がいいように水路を作る。こういう行為を通じて土壌に適度な還元層と酸化層を作り、農作物に都合の良い土壌を形成していく。また、たい肥などに代表される有機質資材での土づくりも人為的行為である。耕運することとあわせ、作物の根に空気がいきわたりやすい物理的条件を作り出す。「自然農法」を標榜する方々の中には「不耕起栽培」をされている方もいらっしゃるが、それもより自然に近いというだけで自然であるとは言い切れない。
このように見ていくと、放っておいてこういう環境が作れるだろうかという疑問が湧くだろう。特に稲作は工業生産的であると思うがどうだろうか。

自然な農業であるといったところで「業」である以上ある程度の品質や収量が確保できなければ成り立たない。となればそこには効率的生育と収奪が必ず存在する。「植える」と「収穫する」は別枠にして考えたとしても、生産者は何もしないわけではあるまい。他の生物に分け前が行かないように草を抜いたり、虫を取ったりするだろう。足りない栄養分を補うため、たい肥や有機質肥料を施用するだろう。「近代農業」はその作業を農薬や化学肥料に代替させているだけだ。基本的にやることは何も変わらない。ただ、その線引きが個人ごとに違うだけなのだ。

もちろん、化学合成農薬や化学肥料を使わずに高品質な農作物を作っていらっしゃる生産者の方もたくさんおり、その努力はすばらしいものである(中には線引きがあいまいでいい加減な人もいるが)。戦略的にそういうことをしている人たちはそれに応じた収入を得る資格があるとは思う。しかし、自然とは何かを勘違いし、無条件にいいものとする考え方でやっている方もおられるが、そういう方ははいろいろな意味で損をしている。日本の農業の行く末が不透明な現在、自然に対する考えをもう一度見つめなおし、生き残る戦略を考え直す必要があるのではないだろうか。

(追記)
※先日、どらねこさん(@doramao)からツイッターでアルカロイドだからすなわち危険と言うようにとられる書き方はどうかとご指摘を頂いた。調べてみると、どらねこさんが例としてあげてくれたテオブロミンはココアの苦み成分として重要であったりするようだ。
以上のようなわけで、ジャガイモの場合はアルカロイドではなくソラニンというジャガイモ特有の物質名で書くべきでした。

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