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2011年5月

優しい心って・・・。

自分は常に人に優しく接したいと思っている。思ってはいるが、気が利かないことと、心が狭いこともあって、なかなかうまくいかない。それで、優しくする、というのはどういうことかといつも考えていることなどを書いてみたい。

ほとんどの人が気づいていると思うが、親切心の発露と言うのは基本的に、自分がこうされたらうれしいと言うことを他人にする行為ということになるだろう。しかし、これも多くの人が気づいているように必ずしも自分がしてほしいことと他人がしてほしいことは一致しない。人を思いやると言うことがその人の立場にたって考えると言うのは決して間違いではないが、それですべて解決するかのように考えるのは危険である。

恥を忍んで自分のことを話してみよう。私は連れ合いと一緒になってもう20年が過ぎた。そのくらい一緒に居れば隅から隅まで相手のことをわかっているのが当たり前という感覚もあろうが、そうではない。理想的な夫婦のあり方としてお互いを思いやり、支えあうという考え方は非常に美しい。しかし、現実の生活場面で家事をシェアするだけが支えあうと言うことではないだろう。たとえば、仕事などで強いストレスがあり、大きく落ち込んでいるときに家族の存在は非常に大きい。暗い気持ちで玄関を開けたとき、明るい笑顔で迎えてくれた子供たちにどれだけ救われたかわからない。とはいえ、子供たちは私のそういう状態に関心があるわけではない。いつもと変わらず接してくれるだけだ。それだけで随分救われる。子供とはそういうものだろう。

しかし、連れ合いの場合は少々事情が違う。お互いのタイプというか人柄によってはいつもと変わらず接してくれるほうがいい場合もあろうが、私はどちらかと言うと一緒にストレスに立ち向かってくれるほうがありがたい。本音で愚痴を言える相手など、連れ合い以外にはいないと思うのだが、うちの場合は子供たち同様私のそういう状態に関心がない。私の愚痴よりもテレビに対する関心のほうがはるかに大きいようなのである。もちろん、こんなくたびれたオッサンより嵐の5人のほうが魅力的であることは否定しない。しないが、こちらが落ち込んでいるときくらい嵐より連れ合いに関心を持ってくれてもいいだろう。
こういう状態なので、長い間(新婚時は別にして)なんて薄情な嫁だとずっと思っていた。いや、普通に仲はいいのだが、こっちが大変なときくらい支えてくれよ、と思う。その代わり、君が大変なときは僕が全力で支えるからさ。

しかし、最近それは違うのではないかと気づき始めた。と言うのも、イラストレーターのけらえいこさんがエッセイ漫画でこういうようなことを描いていた。「人には辛いときに誰かに一緒に居てほしいタイプと、一人で耐えて乗り越えるタイプがある」と。うちの連れ合いはグダグダの愚痴はほとんど言わない。もちろん、まったく愚痴を言わないわけではないが、しつこく、暗く、粘っこい愚痴はまず言わない。そういうストレスがまったくないとは思えない。もしかしたら私自身がそ言ういうストレスの元になっているために私には言えないだけかもしれないが、それを脇にどけて考えるとうちの連れ合いは「一人で耐えて乗り越えるタイプ」なのではないかと思えるようになった。なので、私が辛いときにも「気を使って」放っておくのかもしれない。彼女にとっては、それがストレスを早く克服するコツなのかもしれないと。

まぁ、これは一例に過ぎないし、これ自体単なる推測でしかないのでこんなステレオタイプな型にはめた論から様々な「親切心」に一般化して当てはめるわけにはいかないだろうが、「その人のために」良かれと思ってやったことが必ずしも相手の求めていることかどうかはわからない。わからないが良かれと思ってやってくれていることを正面切って否定するのも難しい。

ともあれ、本当の優しさを身に付けるためには、まずはその第一歩として自分と人とは違うと言うことを理解することが必要だろう。他人が何を望んでいるのかを知ることは非常に難しいが、自分の思い込みだけで「これはその人のためになるはずだ」と状況も見ずに突っ走ることなく冷静に判断し、常に間違いを修正し続ける努力はしたいと思っている。

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葉ネギの外葉を剥くと言う行為に意味はあるか(脱線しまくり)

ネギという野菜は、関西以西では京都の九条ネギに代表される葉ネギ(青ネギとも呼ばれる)として使われることが多く、関東及び東日本では根深ネギ(白ネギ)が主流である。当然ながら、瀬戸内地域ではただ単にネギと言えば葉ネギであり、白ネギはわざわざ「白ネギ」あるいは「根深ネギ」と言わなければならない。

調べてみたところでは、関東は作土層が深く砂質土が多いため栽培に土寄せが必要な白ネギを作るのに向いているとのことだ。そして関西では粘質土壌が多いため、土寄せがしにくく、青ネギが発達したと言う。まぁ、これは一説でしかないわけで、関西でも砂質土壌はいくらでもあるし、同様に関東でも粘質土壌はいくらでもあるだろう。それぞれの食文化の関係もあり一概には言えないと思うが、それでも売り上げの比率は歴然と違うので、少なくとも西日本では葉ネギが、東及び北日本では白ネギが好まれるのは間違いないようだ。

関連があるといえるのかどうかわからないが、瀬戸内地域でもニンニクは栽培されており、特に香川県は全国でも第2位の生産量を誇っている。ところが、1位の青森県は全生産量の6割以上のシェアを誇っており、2位以下はどんぐりの背比べと言えなくもないくらいである。ニンニクは、球根が深いほうが品質のいいものが作れるが、瀬戸内地域ではその土質から種子(球)をいきなり深植えすることはできない。はじめは浅く植えつけておき、発芽が出揃った後で2度3度と培土(土寄せ)をすることで深植えにしていく。瀬戸内の土質及び暖地系のニンニク品種(上海早生)ではいきなり深植えにすると発芽がそろわず、品質がばらついてしまうのだ。
しかし、青森では火山灰土壌や砂質土などが多いようで(このあたり青森の土質に詳しい方おられましたらご指導願います)、いきなり深植えしてもそれほど発芽がそろわないと言うことはないらしい。それに、青森で使われている寒地系品種(ホワイト六片等)は暖地系品種より深植えに強いと言う話もある。そこで、青森ではニンニクの定植機が普及しているとのことだ。機械で大規模に一気に深植えしても歩留まりは悪くないし、そうしないと効率が悪いのである。と言うように同じ品目でも土質の違いは作型や品種の違いを生むのである。

さて、随分話が脱線してしまったが、そろそろ本題に入ろう。
西日本では、葉ネギが主流であることはすでに述べた。野菜類には必ず出荷調整と言う作業を伴うが、葉ネギの場合、洗浄して泥などを落とした後、外側の葉を剥くという作業がある。JAの系統出荷の場合、地域による違いはあるだろうが束にする前に葉を何枚までに調整と言う規格が決まっている。ここで、大量のくずが出る。もちろん、外葉といっても出荷する部分とほぼ同じなので、剥かずに出荷すれば1.5~2倍近い収量が得られる。では、なぜ外葉を剥くのだろうか。また、剥く事に合理性はあるのだろうか。

JAが生産者に規格を統一させるのは、階級ごとの品質管理がやりやすくなるからだろう。太さや長さ、色がばらばらでは安いほうの階級に引っ張られ、全体の単価が落ちてしまう。また、農作物は国内では見た目の品質競争になっている部分があるので、なるべくきれいに統一されたものを揃えたいというのもあるだろう。小売店からすれば、消費者がそれを求めており、JAにすれば小売店からの要望に応えているだけ、と言う事になる。外葉は葉が展開してからの日数が長いため色落ちしやすく、病害虫の被害を受けている確率も高い。つまり、外葉をつけていることで、「古いもの」とみなされやすくなると言うわけだ。

しかし、外葉をつけたままの出荷が可能になれば、それによる出荷量増以上に単価が下がらなければ、生産者は手間を省くことができるので、メリットはあると思う。実際、近所のうどん屋やラーメン屋などと直接取引きしている生産者は中間マージンを省けるだけJA出荷より高い単価で販売している上、外葉を剥かずに出荷しているため手間も省け、面積あたりの出荷量も多い。JA出荷のような資材(段ボール箱など)もいらない。とはいえ、出荷先としては限られた量でしかないため、ニッチなマーケットとなり、先見の明があるというか要領のいい生産者のみこういう形で儲けているのである。

ただ、これは直接取引きで早ければその日のうちに消費されてしまうために可能な出荷形態であるともいえる。先ほども述べたように外葉は色落ちしやすいし、葉先の枯れこみも比較的多い。また、収穫から消費者の手元に届くまで時間がかかるため外葉は固くなっていることもある。たとえば、タマネギで一番外側の茶色になった皮を剥いた後、そのすぐ内側の鱗片を使うとその表面が固くなっていることはないだろうか。厚みがあり、水分を保っているため捨てずに使われることも多いと思うが、炒め物や生食する場合に表皮が噛み切りにくかったと言う経験はないだろうか。ネギでも、それと同じような現象が起こることがある。特に葉鞘部という根元の白い部分は固くなっていることがある。これが外葉を剥かずに置いておくと顕著になるのである。こういう事からも、外葉を剥かずに出荷すると、日数がたったときに購入した消費者からクレームとなる可能性があるのだ。

以上の事から、現在の流通形態では外葉を剥くのはある程度仕方がないことだといえる。とはいえ、ネギ農家の作業場に行くと、比較的きれいな外葉が剥かれて山積みになっているのを見かけるたび、私もすごくもったいない気がしてやるせなくなる。この部分にも肥料などが消費されているのだ。消費者の方々には、そういう部分も農家の負担になっていることがわかっていただければ幸いである。

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VTRの近況

ここのところ、バイクの「現在」について書いていなかった。と言うのも、特にネタがなかったからである。しかし、私のVTRがオブジェと化していない事の証明のためにたいしたネタではないことでも書いておこうと思う。

と言うことで、何をしたかというと4月頭にハンドルを交換した。と言ってもカスタムしようとしたわけではない。初めからついていたハンドルがあまりにサビだらけであったため、キレイにしたかっただけである。パーツ屋さんで見てみると交換用ハンドルは3000円くらいからある。しかし、ヤフオクで見てみると純正ハンドルは中古でも美品なら6000円以上するのだ。そこで、世話になっているバイク屋さんで聞いてみると、カスタム用のハンドルでも悪くはないが、純正でない安いハンドルはハンドルの両端にウエイトが入っていないため、高速走行でハンドルがぶれやすくなると言う。ウエイトを追加できるようになっているものもあるようだが、結局高くついてしまう。どうしようか迷っていると、少しキズが入っているが、結構キレイっぽいVTRの純正ハンドルが1200円で出品されていた。もし、変な品で捨て金になってもいいやと入札してみると1200円のままで落札できた。送料込みで2000円である。
で、届いた品は見た目結構キレイであった。グリップエンドに少々キズがあるが、ほぼ問題になるとは思えない。後は曲がりがなければ良いのだが、素人目にはないように思える。バイク屋で診てもらうと曲がり、ゆがみはなく、十分使えるという。そこで、交換をお願いすることにした。ネットで検索してみると、自分でもできそうだったが・・・。
しかし、結果からするとお願いして良かった。と言うのも、新しいハンドルは純正とは言え後期型用で、元のハンドルと比較すると2㎝近く高かったのだ。もし、交換できなくてもそこを確認しなかった自分の責任なのだが、さすがそこはプロ、各種ワイヤーを長いものに交換することなく、取り回しを少し変えただけで対応してくれた。交換工賃が最初の見積もりより少しだけ余分にかかったが、そこは問題ない。ホンマ自分でやらなくて良かった。で、写真が交換後のハンドルである。取り付けてしまえばキズも全く気にならず、全くキレイである。

早速走ってみると、ポジションが楽になった。ずいぶん慣れてはいたし、そんなに前傾のきついバイクではないので、そんなに辛いと言うことはなかったが、それでも2㎝の差は結構大きかった。腰にかかる負担が減ったように思える。それから、エンジンからのハンドルへの振動も少しマイルドになったような気もする。これは気のせいかもしれないが。

とにかく、ハンドルがすごくキレイになり、ポジションも楽になるという思わぬ効果も得られた。たかだか2000円+5000円ほどの工賃でお得な買い物であった。このVTRには苦労もさせられたが、だんだん色んな事が改善できつつある。もっと色々楽しませてもらわねば。

ところで、エンジンを交換した後の燃費であるが、交換直後は26~27km/lだったが、最近はだいたい28~29km/l程度と言ったところだ。前のエンジンが30km/lを越すこともあったことを考えるとほんのわずか悪くなった。乗り方は変わってないと思うので、純粋に個体差だと思う。これは通勤でも、ツーリングでもほとんど変わらない。とはいえ、田舎道ばかりなので走り方自体も変わらないから当たり前と言えば当たり前だ。

と言うわけで、ぼろいバイクではあるが、色々楽しませてもらっている。やはり、バイクのある暮らしは良いものだと思う。それにしても、今迷っているのはETCである。休日1000円上限も震災の影響でもうすぐ終わり、休日にかかわらず上限2000円という制度も反故になった。それでも、メリットはあるにはあるが・・・。それはそうと、無料化社会実験も同時に終わるようなので、それまでに無料区間を走りに行こうと思っている。そこまでは地道を使っていくのだけども。せこいなぁ・・・。Imag0071


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