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「世界の最適地で農業を」は最適解か?

実は、数年前から「大前研一 ニュースの視点」というメールマガジンを購読している。世の中にあふれかえるニュースはあまりに膨大すぎてすべて読むことはできない。なので、重要なもの、自分に必要なものを見分ける能力(リテラシー)が必要であるが、ただ目の前を流れていくニュースをぼんやり眺めているだけではその能力は鍛えられない。そこで、できる範囲でその能力を鍛えるため、内容を理解するためにジャーナリストの本などを読んだりするわけだが(お勧めは日垣隆氏の著書。「情報の目利きになる!」など)、その一環として大前研一氏のメルマガを購読する事にしたわけである。このメルマガは政治経済の解説、日本の政治・政策への提言など見るべきところは多いが、先週配信されたメルマガの中で、日本の農業の行く末について取り上げられていたので、これは黙っているわけにはいかないということで今回のエントリーをあげさせていただいた。

このメルマガの中で、大前氏は次のように主張する。

****引用開始****
菅直人首相は16日の衆院本会議で「若い人でも障壁なく農業に参加
 できるよう農地法など法体系も見直す必要がある」との見解を示しま
 した。

 また、農業従事者の平均年齢が65.8歳と高齢化していることにについて
 「わが国の農業は貿易自由化とは関係なく、このままでは立ちゆかなく
 なる」と強い懸念を示しました。

 私はすでに20年以上前に、拙著「大前研一の新・国富論」の中で
 この問題を指摘し、2005年までに改革する必要性を主張しました。

 国民の平均年齢、農民が抱える様々な問題を考えて、「農業は世界の
 最適地でやるべき」というのが私の一貫した主張です。
****引用終了****

つまり、農業者の高齢化対策に関して、次世代の農業者の参入障壁をなくすより、「日本の農業」を海外へ持ち出すべき、と言っているのだ。大前氏は、その理由を次のように語っている。

****引用開始****
 オーストラリアでの農業、大規模かつ効率的な機械化で日本とは比較
 にならないほど高い生産性を期待できます。

 広大な土地を使い少人数で大々的に機械化された農業を営んでいる姿を
 見たら、若い人はそちらでやってみたいと思うのが自然だと思います。

 中途半端に日本国内に固執するのではなく、「農業は世界の最適地で
 やるべき」という考えに基づいて農業を解放するべきです。

 日本の会社や農民が世界の農業最適地へ行き、そこで作ったものを
 国内に持ってくるという流れを作ることです。そして、間違っても
 日本国内に持ち込む際に「邪魔」をしないようにすることが重要です。
****引用終了****

理屈からいえば、まったくそのとおりである。私はオーストラリア大陸の気候を隅から隅まで知り尽くしているわけではないから(というかあまりよく知らない)本当に最適地があるかどうかはわからないが、日本と同じような緯度(南半球だけど)の土地があり、あれだけ広い大陸であるからどこかに日本の農作物の栽培に適した土地柄・気候の場所があっても不思議ではない。そこで一枚の圃場面積が広大な農地を確保し、大型の農業機械を導入して農業を行えばコストが格段に下がることは容易に想像できる。

だが、大前氏がここで心配しているのは日本の法律などが障壁となって、自由な物流ができなくなるのではないかということだ。引用した文章の最後にある「邪魔」と言うのはそういう部分を指している。しかし、この手法によって食の安全保障を実現しようとした際に問題となるのは実は別のところにあると私は思う。その点については、以前のエントリー「適地適作が地球を救う?」でも述べたとおりだが、論点が若干ずれているかもしれないので、改めて論じてみたいと思う。

大前氏は日本農業の問題点について、以下のように指摘している。

****引用開始****
 例えば、農業に従事していると、農地の遺産相続の際に相続税が
 かかりません。

 正確には相続者が30年間に農業に従事すれば相続税が免除される
 ことになっています。

 また農業従事者は青色申告者と同様、一般の事業者と比べて多くの
 ものを経費に算入することができます。

 このような事情もあって、農業利権だけを持っていて実際には農業に
 真剣に携わっていない人が一向に減りません。私に言わせれば、日本
 は「農民もどき」が多過ぎると思います。
****引用終了****

との事だが、これは現実の農家の心性を理解していないとしか思えない。もちろん、問題点の指摘としては間違っていない。これがために農地に縛られている人もたくさんあるだろう。しかし、現役で農業をしている年配の人たちは「縛られている」と言うより「しがみついている」と言うほうが正しい。それも、制度上有利だからということではなく、先祖代々(この辺りは実は怪しいのだが)受け継いできた自分の土地を手放したくない、ここで作った米を食べたい、と言う心情である。嫁の実家も農業を営んでいるが、義父は娘(私にとっては義妹)が就農し、自分の田にイチゴのハウスを建ててしまった後も隣の田を借りて稲作を行っている。私などは、農業機械の維持費などを考えれば土地を借りてまで水稲を栽培してもまったく割に合わないと義父には言うのだが、止める気はないようである。これも「自分の米を食べたい」と言う心情の表れである。この話は一例であるが、私は農業にかかわる仕事でたくさんの農家と知り合いになるにつれ、このような心性の人が多いように思えるのだ。片手間とも思える水稲経営を続ける兼業農家が多いのは私の見る限り以上のような理由が多いと思われる。

ただ、次の世代というか、われわれの年代以降になるとそれほど土地への執着はなくなってくる。就職に際して地元を離れたり、地元にいても農業に触れる機会が少なくなったりして農業に寄り添う心情が希薄になるからかもしれない。現在の米の価格からすると水稲作での儲けは10aあたり2~3万円くらいだろう。今年(平成22年)の価格なら赤字かもしれない。そうなると、もはや水稲作を続ける気持ちにはなれないのだろう、大規模経営を志向する担い手に稲作を委託する人は多くなってきている(ただし、戸別補償政策がその動きにブレーキを掛けつつあるが)し、土地を手放したり転用したりする人も多い。ということで、少なくとも私のいる地域では相続が有利だからというのが農地にこだわる理由の最たるものとは言えず、若い世代ではそれほど土地を持ち続ける事に執着してはいないと思われるのだ。

そのような事から、大前氏の主張する「日本農業の海外への持ち出し」はまだ時期尚早なのではないかと思う。もし、やるとなればかなり強引な手法が求められるだろう。そのとき、国内で無用な反発を招き、政治が停滞することが考えられないか?よほど強力なリーダーシップが必要かと思うが、あまりに強いリーダーシップは今までの世界の歴史を見れば諸刃の剣であることは明確である。農業が大きく舵を切る以外に選択肢がない場合、そのためにはそれも仕方ないかもしれないが、その場合は国民が全体としてバランス感覚を失うことがないようにしなければならないだろう。

次に、もうひとつ問題点がある。日本農業の海外移転を行った場合、残された日本の農地をどうするのか、と言った点だ。日本国内の自然は、少なくとも平野部や浅い山間地では人の手が入る事によってその環境が保たれている。水田の生態系維持機能は農業を行うことで保たれているし、ため池なども水田がなくなればそれを維持する人もいなくなり、いずれ使えなくなる。儲からなくても、「米を作る」という仕事が成立するからこそ水田の維持は行えるのだ。米を作らずして水田を維持することができるだろうか?環境を保全する、それだけのために税金等を投入して水田管理ができるか?同じ税金を投入するくらいなら「農業を守る」目的でなくても「環境を維持する」ために水稲作を行ってもいいだろうと思う。

ただ、山間地の棚田など景観的に価値のあるところ以外はあまりにも投入する金額と維持される環境影響の大きさのバランスから考えて、「環境保全」の考え方であっても水田の維持は難しくなるだろう。もし、それでもやると言うのなら国民全体が「環境貧乏」になってもかまわないと言う覚悟が必要になる。そういう事からも、十分に時間をかけて議論をしたいところだが、TPPへの加入について政府が加入を検討し始めた今となってはそうも言っていられないところが辛いところだ。

もちろん、大前氏の主張はこのTPPを踏まえてのことなのだが、あまりにも現場にいる人間の視点を欠いている。少ない字数で主題をはっきりさせるために仕方なくやったことかもしれないが、日本人のうち、農業にかかわったことのない人がその視点を欠いたままそういう方向へ大きく流れていくような事になるのは避けなければならないだろう。そういう事情を踏まえた上で、なお国民全体がTPPから大前氏の主張のような方向へ行くというのならそれはそれで仕方がない。それもひとつの選択肢である。

たまたまこの文章を見かけた方はそのあたりを十分に考えた上で進むべき道を決めていただければ幸いである。

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   コメントをさせて戴いたことがある農業技術者の方のブログで読んだのですが、経済評論家大前研一氏の農業についてのご意見です。 >アグリサイエンティストが行く『「世界の最適地で農業を」は最適解か?』  ブログ主のがんさんとは違う視点ですが、大前氏のこのお話... [続きを読む]

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