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技術があるとはどういうことか

スポーツにおいて、技術があるということは比較的わかりやすいものだろう。基本に忠実に、しかし状況に応じてプレーをこなせるという事になるだろうか。まぁ、多少の異論はあろうが、おおむね間違ってはいないだろう。野球で言えば、イチローが外角低めぎりぎりの球を鮮やかにレフト前ヒットするとか、サッカーだとこないだのワールドカップで遠藤が決めた直接フリーキックなどは研鑽した技術の賜物と言えるだろう。

では、農業において「技術がある」とはどういうことを言うのだろうか。農業の栽培技術はかなりマニュアル化が進んでいるといえる。たとえば、施肥で言えば元肥は化成や苦土石灰、ようりんなどをそれぞれ10aあたり何kgやればいいのか、何cmくらいに育ったら、あるいは本葉が何枚展開したらどのような肥料をどのくらいやればいいのか書籍にも書いてあるものは多いし、地域ごとに農協や農業改良普及センターなどが「栽培のしおり」などを作成して詳細に解説している。そのほか栽植密度や畝幅、作型ごとに使用する品種まで細かく指定しているものも多い。
また、病害虫防除についてもやはり地域ごとにいつごろどのような病気や虫が発生しやすく、その対策には基本的にどのような防除をすればいいのかという「防除暦」を作成している場合が多い。
つまり、気候や土壌条件などが平均的なものであれば誰でもできるようになっているのである。しかし、それでも農作物は品質や収量に大きな個人差が生じてしまうものなのだ。
それはなぜなのだろうか?

人的要因を排除すれば、ひとつには土地柄というか土壌条件も関係している。この土壌条件というやつは結構シビアで、隣のほ場であっても水はけや保肥力に差があり、これがたまに人の努力を超えて作用し、収量や品質に差が出ることがある。しかし、養液を使った高設栽培(背の高いベンチに人工培地などを使って行う栽培方式)などは誰がやってもほぼ同一条件で、高度にマニュアル化されているがそれでも栽培に差ができてしまう。細かく言えばこれでも少々は条件に差があることもあるが、それは全体から見れば些細な差でしかなく、そこから先は「人」であるとしか言いようがない。

では、そこに生まれる差とは何なのだろうか。技術という言葉を表題に掲げていてこういうことを言うのは申し訳ないのだが、まずは性格というか農業に取り組む姿勢である。たびたびスポーツを引き合いに出すのは気が引けるのだが、スポーツでは集中力がものを言うことはほとんどの人に納得いただけると思う。どんなに反応が早くとも、スピードがあろうとも集中力を欠いていたのでは最初の一歩が遅れ、格闘技では致命傷の一撃を食らうし、球技では球に追いつくことができないという事になる。特に移動距離の短い競技ではそれが顕著に現れると思う。

農業では、それがどれだけ詳細に自分の作物を観察できるかの勝負になる。毎日ハウスやほ場に入るか入らないか、入ってもじっくり観察するのかぼんやり眺めるのかで作物の変化に気がつく早さに違いが出るだろう。また、防除や追肥など小さなチャンスも逃さず早め早め(早すぎるのも良くないが)に取り組むかどうかも大きい。今日は用事があるからとか何かと理由をつけて明日回しにしていると雨が降ったりしてさらにどんどん後回しになっていくという事になりかねない。

また、集中力という事からすれば「気づく力」にもつながると思う。葉の色がおかしい、それが下の葉からなのか芯からなのか。土壌水分は十分にあるのにわずかにしおれが見られる、葉の縁がほんのわずかに変色している・・・。毎日粘り強く見ていれば誰でもある程度の経験値は積みあがっていくものである。はじめのうちは、変化に気づくところから始まるが、どう対応していいかわからないこともあろう。そういうときに書籍や今ならネットで調べるということも可能だし、それで解決しなければ農協の営農指導員や県の農業改良普及員を頼るのもいい。そういうことを疎ましがらずにすぐ行動できることが成功につながる。そうやって自己解決力を身につけていく、これが「技術」の根幹を成すものだと思う。

ただ、悲しい事にそういう「やる気」が空回りしている人もたまに見かける。生まれ持ってのものか、育ちなのかはわからないが、「センス」としか言いようのない部分もあるのかと認めたくはないが思わざるを得ない。やる気はあるし、一応聞く耳も持っているのだがいくら指導してもわからない人はたまにいるのだ。多分、農業には向いていないのだろうと思うが、だからといってわれわれの立場から引導を渡すわけにも行かない。そこが自分の仕事の最も難しいところのひとつだ。いくらいっても聞かない人、いい加減な人なら(心の中で)切り捨てればいいのだが、意欲的な人はそうもいかない。いや、多分そういう場合はこちらの「技術」が足りないのだろう。もっと研鑽しなければ・・・。

話が拡散してしまったが、とにかく自分の考える「技術」の正体とはおおむねそういうものである。これを読んだ農家の方で、自分の胸に刺さるものがあると思われた方は是非これまでの自分を見返していただければ幸いである。

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