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人間の「危機を感じる能力」はあてになるか

具体的に「どの話か」と聞かれたら困るのだが、化学物質や食品添加物を忌避する人の論法に時々見かけるのが、「未知の物で、何となく危ないと思った物は避けろ。そう言う人間の危機を感じる力を信じろ」というものだ。それを信じることで、徐々に体をむしばんでいく化学物質などを遠ざけ、自分の体を守ろうと言うわけだ。そう言うものが「自然は気持ちいいから、有機栽培の農作物も体に優しいはずだ」という考えにも繋がっていくのだろう。ぶっちゃけて言えば、「天然なので安心です」だ。

しかし、天然=自然だとすると自然とは厳しいものである。自然は確かに美しいが、ゆとりを持って生きていけるからこそその美しさを堪能できるのだろう。文明という物の庇護があるからこそ自然の景色や有機農作物が美味しいなどと言う贅沢を楽しめるのだ。

話がずれてしまったが、何となく危ないと感じるものを避けることで、人間は不幸を回避できるのだろうか。答えは「否」である。日本人は「穢れ」という感覚を持っている。いや、感覚というと超自然的能力のように思えるので、「経験」と言い直した方が良いかもしれない。それは、日本人が長い歴史を重ねて来た中で「危険を回避するための経験」だろうと思う。死者を穢れた物として忌避することは、病原菌などを避けることであるし、塩をまいて穢れを祓うというのは塩の殺菌力を期待したものといえるだろう。しかしそれはまた、女性も穢れたものであるということで神事から閉め出したりするような明らかに間違った知識も含んでいることからも経験が積み重なった「感覚的危機感」は必ずしも正しいとは言えないと思う。

色々なリスクが科学的に解明されていなかった頃は、「未知の物」や「何となく危なそうに思えるもの」はとりあえず避けておく方が生存には有利に働いていたのだろう。また、野生動物が人間にはわからない「何か」を感知して危機を回避している様子を見て、「人間は文明にまみれて低下しているだけで、実はそう言う危機感知能力があるはずだ」と思えるのはわからなくもない。しかし、「科学は難しいから」とそこで思考停止していては結局そのために生まれる損失は自分がかぶることになるのだ。

確かに、意識レベルでは論理的に考えているわけではないのに、何となく(危険なものも含めて)気配を感じることはあるだろう。しかしそれは意識レベルで順を追って考えていないと言うだけで、目に入った物や匂い、温度や空気の流れと言った皮膚感覚を総合的に深層意識レベルで判断しているに過ぎないと私は考えている。

科学的アプローチでリスクとベネフィットがはっきりしているものは、感覚的に避けるだけでなくなぜそうなったのかを知る努力は続けなければならない。何度も言っているが、そう言うことも含めて、自分でものを考え、行く道を選び取るためにも学校教育は必要なのだと思う。算数や理科、社会に国語と実生活に役に立たないだろうと思うのではなく、こう言うところで実は差が付くのだと言うことは理解しておいて欲しい。話はそれるが、選挙でも「誰に投票したらいいのか」を論理的に考えるためにも学校で世の中の仕組みを理解しておくことは非常に大切だと思う。科学的思考を身につけることも含め、それが自分の未来のためにもなるのだから。

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