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2009年4月

一体何を考えているのか!文部科学省

文部科学省は、平成21年3月31日付け官報で、「学校給食衛生管理の基準」を公表した。その趣旨としては、「本基準は、学校保健法の趣旨を踏まえ、学校給食における衛生管理の徹底を図るための重要事項について示したものである」とある。もちろん、学校給食は子供たちの健全な成長を図るために重要なものであり、(これは残念な話であるが)学校給食が子供たちの栄養バランスを保つための重要な役割を果たしている事例もある(つまり、家庭での栄養補給がバランス的に十分でない場合だ)と聞いている。
であるから、こうやって衛生管理基準を設け、学校給食について一定のレベルを保とうとする努力を行うのは当然のことであり、必要なことだろう。

しかし、私はその方面については専門ではないし、仕事で多少かかわることがあるとはいえ、webで次のような記事を見かけるまでは中身をよく読みもせず、「こんなものもあるんだ」くらいの感覚で受け流していたと思う。

【緊急提言】多幸之介が斬る食の問題●文部科学省が感情論的食品添加物バッシングを展開?

これは、FoodScienceという日経が運営しているサイトで、常々業務上でも私生活でも参考にさせていただいているサイトである。このサイトにおいて鈴鹿医療大学の長村洋一教授が連載されている記事の中で、「緊急提言」として書かれてるものである。これを読むことで、私も初めて問題意識をもった。しかし、このサイトは有料であり、会員にならなければ全文を読むことはできないので、少しでもこの問題をたくさんの人に知ってもらうためにできるだけただの引き写しにならないよう配慮しながら、自分の言葉で伝えてみたい。

この「学校給食衛生管理の基準」でもっとも問題と考えられる部分は以下のとおりである。

-引用開始-
Ⅳ食品の購入 
3 食品の選定 
イ  有害な食品添加物はもとより,不必要な食品添加物(着色料,保存料(防腐剤),漂白剤,発色剤)が添加された食品,内容表示,消費期限・品質保持期限(賞味期限),製造業者等が明らかでない食品,材料の内容が明らかでない半製品等については,使用しないようにすること。
-引用終了-

このイの冒頭「有害な食品添加物」とは一体何のことだろうか。文部科学省ともあろう政府機関が、こんな矛盾を含んだ言葉を使っていて平気だとはどういうことか。これは、私的文書ではなく、公的なものなのである。「食品添加物」は、その言葉の定義として厚生労働省では有害なものは除外されている、というか認可を受けられない。定められた用法、添加量を守っている限り安全と考えられるものである。つまり、この場合「有害な」と「食品添加物」という言葉がこの時点で矛盾している。これでは、一般に流通している食品添加物にも危険なものがあるとでも言いたげな表現ではないか。これでは、「食品添加物」が有害であり、天然物だけの自然食品に戻ろうなどという運動をしている人たちや、それに影響を受けた一般の人たち、またその尻馬に載るマスコミの言動にその根拠を与えてしまうのではないだろうか。

食品添加物は、さまざまなメーカーや研究者が食生活の改善を目指した努力の成果によって生み出されたものである。安全性を低下させることなく食品の保存期限を延ばし、味を向上させ、見栄えを良くする。特に、保存性を良くするという特長については、現在の食品流通にとって欠かせないものとなっている。現在、これほど食品がバラエティ豊かに便利に入手できるようになったのも、コールドチェーンなどの流通技術のみならず、こうした食品添加物の技術向上に依存している部分も大きい。
もし、食品添加物を何が何でも忌避するというのなら、こういった利便性を手放すというリスクを負う覚悟はしておくべきだ。学校給食では、「有害な食品添加物」といっているのだから、食品添加物そのものをなくすわけではないと思うが、もし、食品添加物を完全に追い出すことになるのなら、今の安価で栄養バランスの取れた給食の供給体制を保ち続けられるかどうかは非常に難しいだろう。

この「管理の規準」を読めば、一般の人が「文部科学省が言っているのだから、やっぱり食品添加物には有害なものもあるんだ」となっても不思議ではない。もちろん、きちんと認可された食品添加物であれ、大量に摂取すれば人体に悪影響のある場合があるが、それは自然食品であれ、事情はまったく同じである。極端な話をすれば、砂糖でも、塩でも、水であっても毒性としての半数致死量(LD50)は存在する。もちろん、塩の場合は高血圧、砂糖の場合は生活習慣病のリスクが増すという慢性的な悪影響もある。食品添加物に分類される物質もそれと同じレベルの話である。

文部科学省のこの「管理の基準」が一般に広がり、食品添加物にかかる部分のみが一人歩きをしだしたら、(個人的に感じていることであるが)一般の人たちは危険情報の方を信じる傾向が強いと思われるので、より食品添加物を排除する方向へ動いていくことが予測される。繰り返しになるが、それが流通体系に大きな影響を及ぼし、価格の向上や保存性の低下など生活に対してもたらすリスクがあまり根拠があるとは思えない「安心」を得られるというメリットを下回っているのかについて、よく考えておく必要がある。
少なくとも文部科学省は、この「学校給食衛生管理の基準」が与える影響について十分に検討し、政府の機関として科学的根拠も勘案して国民生活に悪影響が出ないよう考え直していただきたい。

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四輪の愛車、アコードユーロRのこと

最近、CBXについての更新がないが、冬だったのであまり乗ってなかったのである(笑)。これから、できたらツーリングに出かけようかと思っているので、またいろいろアップしていきたい。

そこで、今回は四輪の愛車アコードユーロR(CL7)について書いてみたい。

今までにも、何度も書こう書こうと思いながら、ついほかのカテゴリーに筆が走ってしまい、なかなか書けなかった。

スペックについては、こちらをご覧頂きたい。私のアコードユーロRは、一つ前の型である。現行型のアコードには、ユーロRが設定されていない。しかも、私のユーロRですら大きいと思うのに、さらに8cmも幅が広いのである。これでスポーティを標榜することができるのかどうか心配である。私のなじみのディーラーには試乗車がないので、実際に運転したことはないから何とも言えないのであるが・・・。

さて、まずはユーロRの簡単なインプレッションを書いてみたい。車両重量は1.4tあり、少々重い。しかし、ハンドリングはその重さを感じさせない軽快でシャープなものである。回頭性は非常に良く、切り始めからすぐに反応し、曲がりの大きさも切り方にきちんと着いてくる素直なものだ。ファミリーセダンにしてはやや硬めのサスペンションながら、ゴツゴツした不快なところは一切ない。ギャップを乗り越えてもボディがよれるようなことは一切ないから、ボディ剛性がすごく高く、そのおかげで硬めのサスペンションでもしっかり衝撃を吸収するのかなと思う。とにかくライントレース性は非常に良く、私のようなへたくそでも狙ったライン通りに走るのは簡単だ。また、曲がっている最中にステアリングの切り足しを行っても(ここがへたくそな証拠)問題なく頭から切れ込んでくれる。
エンジンは、本当に最高だと思う。低速からしっかりトルクが出て、微妙なアクセルワークにもしっかりと応え、思った通りのトルクが出る(もちろん2リットルNAの範囲内でだが)。そこから高回転に至るまで一直線にトルクが増していく感じで、それがレッドゾーン(8千5百回転)まで落ち込みが全くなく続くのである。だから、タコメーターを見ていなければリミッターカットが働くまでたびたび回してしまう。まぁ、そんなにたくさんの車に乗った経験があるわけではないが、こんなエンジンはそうそうないだろうと思う。これは、昔から高回転高出力を志向してきたエンジン屋のホンダだからこそできるエンジンなのだろう。ちなみに、VTECの低速から高速カムへの切り替えは6千回転で行われるが、ここでガツンと言うほどのトルクの増加はないが、やはり一段ロケットが切り替わったような感じはある。とはいえ、一般道で高速カムを使うことはまずない。頻繁に使っていたら、免許証が何枚あっても足りないと思う・・・(このあたりは、徳大寺有恒さんが時々使われるフレーズだ)。

こういう車を、私は通勤に使っているわけだ。収入からして、非常に贅沢な車である。しかし、そのおかげで毎日の通勤が非常に楽しい。乗り心地と、スポーツ走行が両立できる車をお探しの方は、是非とも候補にあげて欲しい。もう、中古でないと手に入らないが、状態のいい個体を入手されたら、決して後悔しないことはお約束する。

どうしても新車が、とおっしゃる方はシビックタイプRにしていただくしかないが、こちらは速さはユーロRをはっきり上回っていて、ハンドリングも素晴らしいらしいが、乗り心地が非常に硬く、タイヤも専用の高価なものなので、維持費も少々覚悟が必要だと思う。ただ、その割り切りができれば、これもすごくいい選択肢だと思う。

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政策も研究も担当者は現場を見てから!

ここ数年ほど、農業の現場に最も近いところで仕事をするようになって感じることは、ごく当たり前のことであるが「頭で考える農業と現場の乖離」である。

私は、今の職場に来る前は農業試験場というところにいて、土壌肥料の試験研究を担当していたことは以前のエントリーにも書いたとおりである。その少し前から農業、特に園芸栽培における施肥体系が環境に与える負荷が問題であると認識されるようになってきていた。このため、当時の自分は環境に負荷を与えているものの原因究明と負荷低減のための施肥方法の研究が課題のひとつだった。

当時まではずっと農業試験場及びその関連施設の勤務ばかりで、農業生産の現場をほとんど知らなかった。もちろん現地調査もあったが、農家との接触は限定的だったうえに、農家出身でもないので農業生産の現場はもっぱら外から眺めるだけであり、現場で起きている問題に対する農家の本音など知る由もなかった。
もちろんこれは研究者としての自分の驕りであり、外から眺めて農業をわかった気になっていた勘違いであった。もっと何らかの手段で農家の本音を知る努力をするべきだったと思う。もちろん研究を手がける動機としてはこうすれば農家は儲かるはずだ、より便利になるはずだ、結果喜んでもらえるはずだというものであったが、どれほど良い結果が出ようと農家自身が「使いたい」と思える内容でなければ現実問題として普及しない。
たとえば、施肥量を低減したり追肥の手間を省けるようになる技術を開発したとしよう。詳細に検討すれば、トータルで金銭的にも少々得になるとしても初期投資が大きければ(元肥に緩効性肥料など単価の高いものを使うなど)目の前の負担増に対して、農家というものはかなりの抵抗を感じるものである。特に手間を掛けて経費を削減できるなら手間を掛けるほうをとる。経費をかけて自由な時間を捻出するとかいう発想にはなりにくいのである。とくに、高齢の農家にその傾向が強いように思う。
これ以外にもいろいろ例はあるが、とにかくこういった点が試験研究をやっていたころはわかっていなかった。いい技術を開発しただけでは、農家の心を動かすには至らないのである。

では、今なら農家の要望に即した技術開発ができるのか、といわれれば胸を張って「そうだ」とはなかなか言えないが、少なくとも農家心理に思いを馳せることができるようにはなったと思う。もちろん以前だって考えていないわけではなかったが、ごくごく表面的なものであり、意欲が上滑りしていたな、と昔の自分を振り返ると強くそう思う。

そこで思うのは、研究であれ、行政であれ、農政にかかわる仕事をする人には、ぜひ現場に近いところでの仕事を経験していただきたいのである。日々農家が何を考え、何を感じているのかぜひ間近で見ていただきたい。そうでなければ政策立案も、研究計画も良かれと思ってやったのであれ絵に描いた餅になりかねない。
ただ、国の農業試験場関係については、海外との競争もあるので、現場から乖離した研究になるのはある程度致し方がないと思う。即お金になるような、農家の顔を見ながらの研究計画だけではなく、そういったものから自由な基礎研究はそういうところでなければできないからである。

ということで、都道府県及び市町村の農政関係者や農業の試験研究関係者はぜひ現場の仕事を体験し、農家の視線に即した思考回路で仕事をしてほしい。具体的には、都道府県では若いうちに普及センター(農業改良普及員)の仕事を経験しておくべきである。私のように、40近い年齢になってから初めて現場に出ても、その経験を生かせる年数が限られている。第一線でバリバリやれる年数がたくさん残っているうちに、ぜひとも普及現場を経験して、それを生かしてほしいと思っている。

そうすれば、もっと農家が喜ぶ行政になるはずである。

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