« 2009年1月 | トップページ | 2009年3月 »

2009年2月

これで農薬除去って・・・脱力・・・

昨日、友人の黒猫亭さんからメールを受け取った。それによるとNATROMさんと言う方が農薬を除去し、抗菌作用や消臭、調湿作用があるというホタテ粉末について「科学」「トンデモ」というカテゴリーでこちらで取り上げているとのこと。正確に言えば、そのホタテ粉末を販売しているサイトの内容について、その問題点を指摘しておられるようだ。
NATROMさんは他の科学系ブログのコメント欄でも何度かお見かけしたことがある方で、内科医という立場からもニセ科学の問題に積極的に取り組んでいる。

これを読んで思い出されるのが、昔私の職場に訪問販売に来たとあるアルカリイオン整水機だ。お昼休みに来て、その整水機で作ったアルカリイオン水で炊いたご飯のお弁当を提供するので、話を聞いて欲しいとのことだった。
とりあえず冷やかし程度に話を聞いてみると、この手の水商売にありがちな水道水が体に良くない話から始まって、次にアルカリイオン水の効能についての話になった。

まず、水道水になにやら指示薬を入れる。これに市販の食パンを入れてかき混ぜると赤くなった。販売員はこれは活性酸素の色であるという。人間の胃の中を再現しているらしい。そこへ、アルカリイオン水を入れるとみるみる赤色が消えていった。アルカリイオン水には活性水素なるものが含まれており、活性酸素と結びついて無害化するという説明だ。
次に、アルカリイオン水でミニトマトを洗ってみせる。すると、水道水で洗った方は変化がないが、アルカリイオン水はやや黄色くなった。これはトマトの表面に付着している農薬が溶け出してきたから、らしい。

ほかにもいくつか”実験”をして見せたが、余り詳しくは覚えていない。何せ6年くらい前の話なので(笑)。アルカリイオン水だとお茶が薄まらないとか、アルカリイオン水でお米を洗うとより白く濁るとか・・・それが何を意味するのだったかを覚えてないのだ。
で、この販売員の話の何が問題なのか。

まず最初の実験で、水道水に赤い指示薬を入れていた。これはどう見ても化学実験でよく使われるメチルレッドである。メチルレッドはpH指示薬で、ごくおおざっぱに言うと酸性だと赤、中性~アルカリ性で黄色になる。これが食パンでかき混ぜたときに赤くなったというのは、食パンを作る際に酵母菌で発酵させるが、この発酵過程で作られた有機酸に反応したものと思われる。pH指示薬であるメチルレッドで活性酸素量が測れるとは思えない。そして、当然ながらアルカリ性であるアルカリイオン水を入れると中和されて赤色が消えるわけだ。
仮に、アルカリイオン水に活性水素なるものが含まれていたとしても、活性酸素と結びつくのが活性水素でなければならない理由がわからないし、そう言う化学的に不安定なものが体内でいつまでも何かと反応しないとは思えない。

つぎに、ミニトマトをアルカリイオン水で洗ってみせると言う方だが、これはアルカリによってトマトのリコピンかカロチンが溶け出したと考えるのが普通だろう。色的にもその方が納得できる。仮に、そのミニトマトに農薬が残留していたとして、そんなはっきり目に見えるほど色が変わるのなら、そんなもの店頭に並ぶわけはないのである。そんな簡単に農薬が検出できたら、もしくは除去できるのなら苦労はない。
それに、農薬は非常にたくさんの種類があり、それぞれに性質が違う。水溶性のもの、溶剤が必要なもの・・・。それを「農薬」とひとくくりにして、アルカリイオン水だけで対応できるなど夢の話としか思えない。

しかし、農業関係の、ある程度科学リテラシーがある人間が集まっている職場で、こんな与太話でアルカリイオン整水機を買ってもらおうなどと勇気あると言うか無謀な販売員もいたものである(笑)。
アルカリイオン水が本当に体によいのなら、こんな明らかに科学的に間違いの説明を無理矢理付ければかえってマイナスイメージが増幅するとは思わないのだろうか。

NATROMさんが取り上げておられたホタテ粉末もこのレベルの話だと思う。ちょっと考えれば、おかしいところがたくさんあるというのはすぐわかるのに、ころっとだまされてしまう人が多いのは困ったことだと思う。

少し横道にそれるが、よく学校教育は実生活にはなんの役にも立たないという人がいる。しかし、きちんとその内容を理解し、教養として自分に取り込んでおけば、こういう話をどう判断するかの材料になるはずである。教養を身につけると言うことは、自分のいくべき道を自分で選ぶことができるようにする、と言うことなのだと思っている。

閑話休題。

もちろん、ホタテ粉末にしても、アルカリイオン水にしても、商品そのものはもしかしたらすごく良いものかもしれない。その可能性は否定できない。しかし、その説明は問題だらけである。販売会社が、本当に自分のところの商品に自信があるというのなら、誤った説明などせずに、商品の良さそのもので勝負すればいいのに、と思うのだが・・。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

適地適作が地球を救う?

今回は少々趣を変えて、理想論というか、正直言って暴論も含んでいる。こうすれば食糧問題の解決に近づくといった話ではあるが、実現は難しいというより現実問題としては不可能な机上論なので、そのあたりこういう考え方もあるんだ、くらいに割り引いて読んでいただきたい。

適地適作という言葉がある。これは、そのとおりに読んでいただければ意味は解説するまでもないと思うが、農作物等をその土地の気候や土壌条件を考慮してもっとも適切な品目を作りましょうという考え方である。言葉の意味からすれば、至極まっとうな疑問をさしはさむ余地のない正論である。では、なぜこれが暴論につながるのか。それは論を進めるうちに、おいおい明らかにしていきたい。

たとえば、水稲はどこででも栽培されている。湛水可能な水平面が必要なのに、急傾斜地でも棚田を作ってまで栽培している。そこまでして水稲を増産する必要があるのか?米の確保ということだけから言えば、正直言って無駄だと思う。棚田ほど効率の悪い水稲栽培はないだろう。1aもないような小さい田んぼでは、機械化の恩恵を受けづらい。耕運機にせよ、田植え機にせよ、コンバインにせよ、少し動かしたらすぐに次の田んぼへ行かねばならない。しかも、隅っこのほうまでは機械が届かないし、機械を入れるためのスペースも確保しなければならないので、その部分は手植え、また手刈りをしなければならない。合計面積が同じ田んぼでも細かく分かれているところと一枚の田んぼが広いところではこのデッドスペースの数によって、機械の効率に大きな差が出てくるわけだ。
つまり棚田でないと水稲栽培ができないようなところでは、すっぱりと米作りをあきらめ、傾斜畑にでもして、少しでも一筆の面積を増やし、効率を上げるほうがよっぽどいいのである。ただし、水源の涵養に問題がなければ、だが。つまり、生産効率だけを考えれば、水稲は平地で、一筆の面積が大きく、水はけの良い田んぼに集中して管理するのが最良なのである。それ以外のところは水稲はあきらめるか、野菜等を生産する上において、連作障害を回避するためだけに水稲は時々捨て作りするといいのだ。

ということで、あくまで適地適作のみに絞った理想論で考えれば、国などが国内のすべての農地を管理し、各品目ごとに必要量を算定して農作物の生産計画を立案し、品目ごとに最適地から順に作付けを割り振っていく。そしてどのほ場では何を作る、あなたはこれこれの作物をここで作りなさいとすべて指定すればいいのだ。そうすれば、品質と収量を考慮した最適値が導き出せるだろう。もちろん、割り当てられた品目によっては、儲からないこともあると思うので、栽培面積に応じて農家には十分な補償を行う。
適地で栽培すれば病害虫防除の効率も良くなり、施肥も適正に行うことで環境への負荷も減らすことができる。
もちろん、適地や時期がかぶる品目もあるだろう。それについては、農作物のもたらす全国民の幸福の値が合計で最大になるよう優先順位をつけるしかあるまい。

適地適作、ということだけを考えればこういうことになる。しかし、これが正しいやり方なのかといえば、反対される方が大多数だろうと思う。私だって反対だ。その最大の理由は人間の感情や性質からかなり遠いところにあると感じられるからだ。だからここで”私が述べている”適地適作の考え方は暴論なのである。
こういうやり方をすれば、「個人の努力」に基づく部分がほとんどなくなり、栽培や品目の組み合わせを工夫して楽しく儲かる農業を実践している人にとっては、かなりやる気をそいでしまう。もちろん栽培者による技術格差もあるだろうから、そのあたりをどうするのだ、という問題もある。

いずれにしても、冒頭で述べたとおり、ここまで徹底した適地適作はまったくの暴論に過ぎない。しかし、国内で儲かるためにはどうしたら良いのかと他の都道府県や輸入元国の動向ばかり気にしているのではなく、せめて各都道府県ごとに自分の地域に会った特色のある農業政策を打ち出して、決して無理や背伸びをすることのない農業を目指すことも大切だと思う。

とは言いながら、私の地元では作ろうと思えば農作物は何でも作れてしまうので、特色を出すのがなかなか難しいのであるが・・・。自分ができていないことを他人に押し付けようとするわがままな物言いであるが、これも日本の農業振興について真剣に頭を悩ませているものということで、今日のところはこのくらいで勘弁しといたろ。
・・・じゃなく、勘弁しておいてください(笑)。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

ホンダ インサイト試乗記

以前、唐突にレビューを書いたホンダインサイトだが、こないだ試乗してきたので、その感想を述べてみたい。

それにしても、発売前にレビューを書いてから、ホンダを取り巻く情勢は大きく変化した。1番大きな衝撃はF1からの撤退だが、それ以外にも次期NSXの開発中止、アキュラ店の展開凍結と燃油高騰は有利に働いた日本メーカーにも今回の不況はかなり堪えたようだ。やはり、本田宗一郎氏のDNAはスポーツにこそあり、これらの縮小、休止は会社そのものの存続危機であるとしか言いようがないのだろう。会社が苦しくとも何とかやっていける目途が立つのなら、ホンダがこれらを放棄するわけがないのである。現行車種のS2000ですら、今年の7月だったと思うが生産をやめることになったらしく、そうなるとホンダのスポーツカーはシビックタイプRだけと言うことになる。

唯一の希望は、来年発売予定というハイブリッドスポーツのCR-Zだが、インサイトでも結構運転は楽しかったので、それをよりスポーツ向けに味付けしたと言うことであれば、非常に期待が持てる。また、これ以外にも軽スポーツのビートの復活が計画されていると言うことなので、環境に配慮しながらスポーツを楽しめる車なら実現性もあると思うので、そちらにも大いに期待したい。

閑話休題。

さて、肝心のインサイトであるが、試乗と言ってもディーラーの近くを5分程度走っただけなので、たいしたことは言えないのだが。

まず、車両価格が189万円からというバーゲンプライスでありながら、走りの基本にはほとんど手を抜いていないと思う。少々ラフなハンドリングをしてもボディのがたつきは全くなく、ギャップを乗り越えたときのサスペンションの収まりもいい。とはいえ、それほどの悪路を走ったわけではなくせいぜいがアスファルトの段差なので、たいしたことは言えないのかもしれないが、ボディ剛性が高く、サスペンションがしっかり働いているのだと思う。

エンジンは1.3lの4気筒だが、さすがにスムーズで吹け上がりもいい。モーターアシストの不自然さもほとんど感じないし、パワーも十分である。

特筆すべきはシートの良さ。最近のホンダ車は本当にシートが良くなった。連れ合いのステップワゴン(初代)のシートは大柄なのはいいが、張りがあまりなく、体を支えるポイントも少ないので、腰の負担が大きい。そのため、レカロシートに交換したのだが、このインサイトのシートであればその必要はない。シートに十分しっかりした張りがあり、きちんと腰を支えてくれる。私は腰が悪いので、その辺は重要ポイントなのである。
もちろん、スポーツ走行にはサイドサポートが物足りないが、この車でそこまで攻める走りをする人はいまい。なので、これで十分だと思う。

インテリアは少々やりすぎの感もあり、未来的と言えば未来的だが、子供っぽいと思う。ただ、色遣いはきれいで、メーターなど見ていると落ち着いた気分にはなる。これは、荒っぽい運転を抑える働きがある・・・というのは言い過ぎか(笑)。
エコ運転度を採点してくれたり、アクセルの踏みぐあいによってメーターの色が変わったりと遊び心も満点だが、これはもしかしたら飽きてくるかもしれない。それに、エコ運転をしろ、と始終急かされているようにも感じられ、いらいらしているときには自分のような心が狭い人間の場合、腹が立つかもしれない。

いずれにしても、この車は「買い」だと思う。エコ運転度などのギミックを抜きにしても、運転そのもののの楽しみがあり、実用車としての基本もしっかり押さえている。
一番安いグレードの189万円にしても、装備が全然足りない「見せグレード」ではなく、必要な装備はきちんとそろっていて、これにオーディオさえ装備すれば不足だと思われるものはない。今は、値引きがほとんどなかろうが、総額200万円と少しで同じような装備のプリウスの車両価格より安く入手できるのかもしれないのだから本当にお買い得だと思うがどうだろうか。

最大の欠点は、シルエットがプリウスに似ていると言うことだろう。実車を見ると細部がいろいろ違うし、インサイトの方が低くスタイリッシュなのだが、運転席を頂上としてなだらかにリアエンドまで下がるルーフライン、すぱっと切り落としたリアエンドなどが共通するとどうしても似てしまうのだろうか。
そのあたり、ホンダの先代ストリームをミリ単位まで真似しながらあまり似ているように見えないウイッシュを作ったトヨタのうまさにはホンダはまだまだ及ばないのだろう。

| | コメント (1) | トラックバック (1)

新しい時代の農業へスムーズな移行を

近頃、農業が儲からないと嘆く声をよく聞く。確かに、サラリーマン並みの収入を上げている人は全体のごく一部だと思う。20年位前までは、うらやましがられる農家さんもたくさんいたはずだ。それがなぜ、こうなってしまったのだろうか。

最大の原因は、農作物の店頭販売価格の低迷だろう。昔は、市場におけるセリがきちんと機能していたため、需要と供給に応じた価格変動になっていたはずだ。ところが、今でももちろんセリは残っているが、実質的には量販店の力が強く、店頭で売れる価格をベースに卸値が決められている場合が多かろうと思う。つまり、極端な話をすれば供給量が少なくても、量販店が「この価格以上では売れない」と判断したら卸の業者はそれ以上値を上げられないのだ。

量販店は「消費者のため」あるいは「消費者が求めるから」という。確かにそれはそうだ。農業関係の仕事をしている自分にしてからが少しでも安いものを求める気持ちはあり、値段と品質をじっくり吟味して妥協できるなら安いものに手が出る。また、どうしてもこの食材でなければというとき以外はできるだけ特価品だけの組み合わせでメニューを考えることが多い。

これではアカンと思うのだが、余裕のある生活をしているわけではない我が家ではどうしても食材で節約せざるを得ない。これが一般的なサラリーマン家庭の姿だと思うし、これではスーパーも値段優先思考にならざるを得ないだろう。しかし、いまさら農作物の値段を全体的にもとの値段に戻せ、農家が十分な収入を得て、継続的に農業を続けられるような再生産価格を維持せよ、と言ったところで少なくとも今すぐには不可能だろう。とはいっても、このままでは国内の農業がどうなってしまうかわからないし、仮に国内農業が壊滅状態になった場合、われわれの生活環境は激変し、ライフスタイルの大幅な見直しを迫られるに違いない。食糧の安全保障問題にも絡んでくるのだが、これはたぶんに政治的な、特に国際政治問題なので、ここではひとまず脇に置かせていただく。

ここまで述べてきたように、農業が儲かる職業になるために最も手っ取り早い方法は農作物価格の大幅な引き上げであるが、それは農業の現場でどうなるものではなく、政策の問題なのでそれについてはこれからも少しでもその状態に近づけるよう知恵は絞っていきたいものの、基本的には行政と政治家に任せておくしかない(私も行政関係の人間ではあるが、技術系なのでとりあえず今は勘弁してほしい)。しかし、ぜひ実現したいものではある。

それでは、とりあえず農産物価格の全体的な大幅引き上げという目標はいったん横にどけておいて、儲かる農業を目指すために儲からない要因について考えてみたい。

まず、現在農家の大部分がサラリーマン並みの収入を得られるほど儲かっていないのはそれなりの単価が得られていた昔の考え方を引きずっているというのがひとつ考えられる。30~50a程度の面積で、水稲を中心として野菜を組み合わせる農業は今の農作物単価ではそのまま何の工夫もなしに出荷していたのでは儲かるはずがない。たとえば、青ネギを作ったとして考えてみよう。すんなり育って収穫できたとして10aあたりの収量は1500kgとなる。年平均のkg単価を400円とすると1500kg×400円=600000円となる。経費が約半分として利益は30万円。青ネギの場合1枚のほ場で年3作ほど作付けできるので単純計算で90万円の利益になり、それを30aほどやっていれば年270万円の収入が得られることになる。

これなら悪くない、と思われた方もおられるかもしれない。しかし、野菜というのは連作があまりできないものであり、とくにネギは連作に弱い。適当に水稲を間に挟みながら休み休み作らないといいものはできないのである。また、一度に30aものネギを収穫・調整することはできない。少しずつ収穫できるように調整し、計画的に植えていったとしてもなかなか思ったとおりに生長してくれず、なかなか計画的に収穫・出荷できるものではないのである。また、毎年毎回1500kg収穫できるとは限らない。天候不順や病害虫によって品質・収量が極端に落ち、減った収量の分と等級が落ちて単価が下がる分を合わせればかなり儲けが減る上に、経費はあまり変わらないのである。ちなみに、年平均400円/kgという単価もやや楽観的なものである。

ということで、毎年安定して270万円の収入が得られるとは考えにくい上、労働時間もおそらく一般的なサラリーマンより多いと思う。このような現状であるから、何も考えずにただいいものを作って出荷していたのではどうにもならないのは理解していただけたと思う。

そこで、どのあたりを昔の考え方と変えていけば農業は儲かるようになるのだろうか。

まず、最も手っ取り早くわかりやすいのが大規模化(面積を増やす)である。面積あたりの収益が低いのを大規模化でカバーしようというわけである。言い方を変えれば薄利多売ということになる。また、大規模化すればスケールメリットが発揮され、面積当たりのコストも低下する。簡単に言うと、面積が増えたからといってそれに比例して農機の台数を増やす必要がないなど多くのものを共有できるため、それにかかる維持費などが削減できるわけだ。もっとわかりやすく言うと、とあるところに100aのほ場があったとして、50aのほ場を持つ農家が2人いる場合と、100aのほ場を持つ農家が1人の場合、どちらがより多くのコストが必要か言うまでもないだろう。

とはいえ、大規模化にもデメリットはある。労働時間が増えるため、家族経営では労力の確保が間に合わなくなり、雇用を入れる必要が出てくるが毎日決まった量の仕事があるとは限らないので、雇うときの条件もなかなかに難しいものになる。また、同一品目で大規模化したときは、農作物価格の大幅下落があれば、その影響をもろにかぶることになるだろう。

いずれにしても、日本で農業を続けるには従来の考え方のままではこれから先はやっていけまい。そういう重要な転換点に来ているということだ。事実、親から20~50aの農地を引き継いでも、それだけで生活できている人はほとんどいないだろう。特に、水稲が中心ならなおさらである。それだけに、今そういう小規模農家の中心となっている60~70代が高齢のために農業から離れていけば、たちまち耕作放棄地だらけになってしまう。次の世代は、ほかに仕事を持っているため、親が農業を辞めてしまえばほとんど収入の見込めない農業に手を出すとは思えないからだ。

ここで、考え方を変え、親から引き継いだ農地は自分たちでやらねばならないという考えから脱却し、担い手に農地を集約していかねばならなくなるだろう。そのためには、農業をしようとする人たちや自分の農地を担い手に託そうとする人たちだけでなく、その周囲の人たちもそういった土地のやり取りがスムーズに行くよう配慮をお願いしたい。

儲かる農業への解答が大規模化だけではないが、そういった方向への流れはもはや避けようがないと思われるので、気持ちよく新しい時代の農業へ移行できるよう世間全体で考えてほしいものである。

| | コメント (2) | トラックバック (1)

« 2009年1月 | トップページ | 2009年3月 »