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2008年10月

イリジウムプラグ

というわけで、バイクの話題である。

アイドリングの不調を受けて、色々と調整をしていたわけであるが、吸気系ばかりが悪いかどうかもわからないので、プラグを交換してみることにした。

で、どうせならいいものを奢ろうとイリジウムプラグにした次第である。古いプラグをはずしてみると、外側に錆は浮いているし、先端はきれいに焼けておらずグレーである。これではキャブばかり調整していてもどうしようもないかもしれない。で、早速交換してみた。

すると、早朝寒い時間にもかかわらず、チョークを引かなくても一応エンジンがかかった。ちょっとびっくりである。しかし、すぐに止まるため、結局チョークを引いてエンジンをかけ直した。しばらくして回転があがりかけたのでチョークを戻しても回転数は低いながらアイドリングは安定している。明らかにエンジンの様子が違うのである。

走り始めてみると、中低速の粘りが増し、わずかだがトルクが向上しているのがわかる。たかだか125ccで体感できるほどトルクが向上しているのである。坂道でも、今までより一段とまではいかないがやや高いギアで粘ってくれる。同じような走りをしていてもアクセルの開度がやや少なくても済んでいる印象である。

前のプラグが良くなかったということもあろうが、それにしてもこれほど変わるとは思っていなかった。まぁ、これがCBX125カスタムの本来の姿で、イリジウムでなくても新品プラグならこの程度の改善は見られた可能性もあるが、それにしても、これほど変わるのならもっと早く交換しておけば良かったと思った次第。

あとは、このプラグでならもう少しアイドリングを下げられる可能性もあるので、またこの週末にでも再調整に挑戦してみたいと思っている。ついでに、遊びが少なすぎるクラッチの調整にも手を付ける予定である。

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有機農法は「自然」なのか

有機農法という言葉がある。JAS法の定義によると「農薬や化学肥料などの化学物質に頼らないで、自然界の力で生産された食品」ということになる。認証の細かい部分まで解説するとブログの範疇を超えてしまうので、ここには書かないが、詳しく知りたい方はこちらを参照して頂きたい。

要するに、有機農産物とかオーガニックとか言う言葉を使おうとしても、JAS法という食品の規格と表示を規定した法律があるので、その法律に則った正しい方法を使わないとそうは表示できないのであるが、ここでは、便宜上化学肥料や化学合成農薬(以下面倒なので特に断らない限り単に「農薬」と書かせて頂く)を一切使わないで栽培した場合をすべて有機農法と呼ぶことにする。

さて、世の中には自然回帰指向の人がいて、そのレベルも様々である。全く世俗から離れて仙人みたいな生活をしている人から、実体としては都会のビジネスマンなのに、ロハスに憧れて時々なんちゃっての自然な生き方を満喫している人まで同じ自然回帰指向で括るには多少無理があるのではないかと思うことも多々ある。

ということで、農作物に対する「自然」の要求も人によって色々なレベルがあり、そういった有機農産物などに対して払える対価も変わってくる。今までの経験からして(統計は取っていない。あしからず)スーパーなどで有機農産物と一般農産物が並んで売っていたとして、ほとんどの一般家庭では少しでも高ければ有機農産物には手が出ないと思う。逆に、同じ値段で見栄えが同じなら、ほとんどの人が有機農産物の方を取るだろう。
ただ、普通のスーパーではなく「生協」になると、やや高くても有機などを購入する人の割合が増えるようだ。これは、やはり生協に求められているイメージがそういうものなのだろう。

結局、何が言いたいのかというと、高くても有機農産物を、という人は限られているということだ。闇雲に有機を追い、苦労して品質の良いものを作って有機農産物という表示をして売ったとしても、なんの工夫もなく店頭に並べただけでは儲けに繋がらないということになる。こういうものを好み、少々(どころか出来るだけ)高くても買ってくれる顧客を見つける、それを固定客として取り込んでしまう、これができなければ安定して生活できる収入は得られないわけだ。

つまり、農家経営ということを最優先に考えれば、有機栽培を手がけるというのはあまり得策とはいえない。農薬や化学肥料を使う慣行栽培に比べ、当たり前だが手間がかかる。その分を人件費として捉える、または慣行栽培を行うことによって省けた手間を規模拡大に向けると考えれば、単価がほとんど変わらないのなら慣行栽培のほうが儲かるのだ。それではなぜ国や県などの自治体は有機栽培あるいは減農薬・減化学肥料栽培を推進するのだろうか?安全・安心のためだろうか。安全・安心のためだというのなら、何のためにあれほど厳しい農薬の残留基準設定があるのか。それでも農薬を使うというのは安全・安心上好ましくないのか。

農薬の残留基準値設定についてはもう解説したので繰り返さないが、基準値設定のための試験が適切に行われているのであれば、どう考えても基準どおりの使用方法を守っている限り農薬は安全であるといえる。最近は役人が信用ならないと考えている人も多いようなので、業者と役人の癒着により試験結果が歪められ、残留基準値の設定自体信頼性に疑問があると思う場合もあるかもしれないが、少なくとも自分の周りにいる研究者たちは真摯に取り組んでいると断言しておくし、それが普遍的な研究者の態度だと自分は思っている。そのデータが監督省庁でどのように活用されているかはわからないが、自分の周りの研究者同様現場の第一線で働いている人たちは監督省庁の内部であれ、自分の知る限り真摯に仕事を行っていることも申し添えておく。

ついでながら、化学肥料の安全性についても論じておきたい。農薬同様化学肥料も毛嫌いする人がいるが、たいていの場合農薬が病害虫を抑えるという効果以外植物にとっては必要のないものであると考えられるのに対し、化学肥料は植物にとって必要な栄養素であるというところが決定的に違う。化学肥料が「化学的に合成された」という部分をなんとなく未知のもののように気持ち悪く感じ、体に悪いのではないかという漠然としたイメージを持っていることもあると思うが、化学肥料の成分自体にはまったく問題はない。たとえ有機質肥料であれ、水溶性の化学肥料と同じ成分になった上で植物体に吸収されるのだ。たとえば窒素であれば、有機質肥料に含まれるたんぱく質のままで吸収されることはなく、微生物によって分解され、多くの場合硝酸態窒素になってから吸収される。アミノ酸なら直接吸収されることもあるだろうが、それとてそのまま植物体の構成成分として直接取り込まれるわけではないと思う。
その硝酸態窒素あるいはアンモニア態窒素を化学的に合成し、製剤化したものが化学肥料なのである。つまり、有機物が土壌中でゆっくりと分解される過程をはしょっているだけなのだ。ほかにも燐酸や加里、その他の微量要素などもあるが、おおむね同じような過程を経て吸収され、化成肥料となるいきさつも同じようなものである。
一つ付け加えておくと、化学肥料は化学工業製品の副生産物を流用して作られることが多いため、予期しない不純物が含まれている可能性は否定できない。しかし、これも製造者が適切に管理していればまず問題になることはないと思うが・・。

では、有機栽培や減農薬・減化学肥料を推進する理由は何なのか。それは環境に対する負荷の低減である。農薬が栽培中の農作物に使用され、それが適正である限り食料品としては問題がないとしても目的とする害虫以外の虫やそのほかの生物を殺すことは十分にありうる。つまり、周辺の環境に農薬が流出した場合などは特にであるが、生物の連鎖を崩し、生態系に影響を与えてしまうことが考えられる。また、特定の害虫や病原菌だけを殺すことによって周辺の生物の占有状況も変わるだろう。
化学肥料はというと、植物体に吸収される成分のみ効率よく組み合わされているため、植物が吸収してしまう以外には土壌微生物が利用できず、化学肥料だけしか施用せずに栽培していた場合いわゆる「土地がやせた」状態になってしまうのだ。また、化学肥料は有機質肥料に比べ植物が利用できる養分としての有効成分が高い。つまり、有機質肥料に比べて同じ面積の田畑なら少量の施用で済む。これは、裏を返せば化学肥料では少しのやりすぎが大きなやりすぎにつながるのだということだ。肥料のやりすぎは水系に影響し、河川なら富栄養化を招き、地下水なら飲料水の汚染につながる。ただし、化学肥料なら有効成分が高いためそうなりやすいというだけで有機質肥料であっても大量にやりすぎれば同じことを引き起こすので、いずれにしても肥料は適正に使うべきである。

それならば、やはり農薬や化学肥料は使わないほうがいいのではないかと思う人が多いと思う。それはそのとおりで、われわれ農業の研究・普及に従事する人間も最終的な目標としてはそこへたどり着ければいいなぁ、とは思っている。しかし、まだまだ現実としてはそうはいかない。
と書くと、そんなことないだろう、実際に有機農産物を栽培し、それでやっていっている生産者もいるではないかという意見も出てくるだろう。しかし、そういう人はほかの生産者と区別し、付加価値をつけて少ないニーズを掘り起こし苦労に見合った報酬を得る努力をしている。日本の生産者が全員有機に取り組んだとして、農作物の差別化ができなくなれば、結局高くは売れず、苦労した分だけ損であるし、大規模化も不可能なので結局やっていけなくなる。また、有機栽培ばかりになれば作柄が気象条件などに大きく左右され、昔のような飢饉に陥る可能性だってある。有機栽培などでやっていけている人は少数だからこそ、ニッチだからこそやっていけるのである。

農業はもともと自然から派生したものであるのに、なぜ自然には作ることができないのだろうか。それは、農業自体がすでに自然ではないからである。考えてもみてほしい。とある区域内に一種類の植物しか存在しない、そういう状況が自然にあるだろうか。キャベツならキャベツだけ、ネギならネギだけが整然と並び、育っている。そういう状況が自然だろうか?狭い区域内に一種類の植物のみしかなければ、あるいは突出した優占種であれば、当然それを狙う病害虫にとっては天国のような環境である。ちょっと入り込んで繁殖すれば、周りにいくらでもえさがあるのである。しかも、そこに植わっているのは野生種ではなく、人間が食べることを最優先に考えて育成されてきた園芸品種などだ。これに手入れをしないのであれば、ますます病害虫にとっては繁殖してくださいといわんばかりの状況になってしまう。
自然環境では、厳しい中を生き残ってきたものばかりが生存を許されているのであり、人間に保護されているからそこに生きているのではない。また、多様性が保たれているからこそ同じ状況が続いているように見えるのである。つまり、本当に自然回帰を志向するのなら原始の昔に返って狩猟や採取のみで生きていくしかない。というわけで、有機栽培といえども農業として栽培している以上、自然とはいえないのである。

それでも、人類は農耕開始以来から振り返ってみても農薬や化学肥料を使い始めたのはごく最近のことであるし、自然ではないのはわかったがそれでもそのあたりまでなら後退してもやっていけるはずだという意見もあろう。しかし、人間は、特に日本などでは少々増えすぎている。資材やエネルギー、労力を集中して効率よく作物を生産しないととてもではないがやっていけない。それをわからないで、とりあえず食べるには困らない我々がのんきに(いろいろな意味で)生産効率のよくない有機農産物を求めるということは、日々の食料を手に入れかねている開発途上国の人々に思いを馳せれば、とんでもない贅沢な話だということは自覚しておいてほしい。

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まだ安定しないアイドリング

さて、昨日調整してみたアイドリングであるが、今朝(12日)ちょっとした用事があったのでバイクに乗ってみることにした。

それで、チョークを引いてエンジンをかけてみると普通にかかる。エンジンの回転があがってきたのでチョークを戻すとやや不安定ながら1000回転前後でアイドリングしている。走り出してみると普通に走るのだが、交差点を曲がる時にエンジンブレーキを利かせたあとシフトダウンしようとクラッチを切るとエンジンが止まってしまった。

アイドリングを絞りすぎたか?

5分くらい走ってみても症状は改善されず、仕方がないので家に帰ってから少しだけアイドリング調整ネジをいじって1500回転前後まであげてみた。すると、止まらなくなったが・・。

あとは、もう少し長い距離を走ってみてからどのくらいアイドリングの回転数が上がるのか確かめてみないといけないだろう。これで安定してくれたらいいのだが。

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とりあえず調整してみた

エンジンが暖まるとアイドリングが異常に高くなる症状に悩まされていたCBX125カスタムだが、とりあえず暖まった状態でアイドリング調整ネジを締め込み、アイドリングを低く抑えてみた。

すると、暖まっている状態では1500~2000回転で安定するようになった。とりあえず出かけてみて、買い物を済ませてからエンジンをかけ直してみたが、一発でかかるし、きちんとアイドリングも安定している。買い物そのものは30分程度で済ませているので、エンジンは冷え切ってはいない。このため、本当にこれで良いのかどうかよくわからない。

とにかく、明日の朝まで待って(そんなに待たなくても良いと思うが、なかなか暇がないため)、もう一度始動に問題はないか、アイドリングは大丈夫か確かめてみるつもりである。

ここで、ひとつの仮説を考えてみた。このCBXは年式の割に走行は少ない。ということは、自分が入手するまでしばらく放置されており、そのために部品の各部の動きが悪くなっており、その状態で前のオーナー(ショップ)はアイドリングを調整したため、高めの設定でなければ頻繁にエンジンが止まってしまっていたのではないか。
それをここのところ、頻繁に乗るようになったため各部の動きが良くなり、マフラーの抜けなども改善されたためにアイドリングがあがりすぎてしまうようになったというわけだ。

これはあくまで仮説に過ぎないが、このままアイドリングが安定するのであれば、当たっていると言っていいのではないかと思っている。

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アイドリング不調

今朝、今日はバイクで通勤してやろうとCBXを引っ張り出してエンジンをかけ、暖気しながら出かける準備をしていた。チョークを引いてエンジンをかけ、ある程度回転数が上がってきたためチョークを戻し、いったん玄関に入って上着を着たり、ヘルメットを着用したりしていた。外に出ると、エンジンが止まっていたため、再びチョークを引き、エンジンをかけるとタコメーターは3000回転を指している。あわててチョークを戻すと1500回転くらいで安定したのでグローブをはめ、デイバッグを担いでCBXにまたがった。

いったん発進し、ギアチェンジのためクラッチを切ると、なんとアイドリングが5000回転近くから下がらない。クラッチをつなぎ、しばらく走ってアクセルを戻してもエンジンブレーキがまったく利かない。かえって加速しているかのように感じるのだ。これはまずい、とバイクを止めると、やはりアイドリングは5000回転近い。仕方なくCBXを急いで片付け、車に乗り換えて出勤した。

ちょっと前から、アイドリングの回転数が高すぎておかしいなと思っていたが、今日のこれはちょっと危ない。近々、ネットで集めた情報を元に自分で調整してみようと思っていたのだが、やはりバイク屋に持っていくべきか。しかし、そのバイク屋までの道のりが不安である。

ある程度自分で調整して、許容範囲に収まったらバイク屋に持っていくしかないか?でも、土曜日くらいまではなかなか時間が取れないので、今週中はそういう不安な日々をすごさねばならないのか・・。とりあえず、調整できるまでは乗るのを控えた方が良さそうだ。

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一定レベルの理解を得ることの難しさ

ここで、私は「アグリサイエンティスト」を名乗ってはいるが、実は農業の試験研究現場から離れてもう6年半になる。現在の仕事は研究開発ではなく、その技術等を一般に普及することである。一般にとは言っても対象は生産者(農家)であり、目標は生産者の技術向上などによる経営状態の改善、ひいては産地全体の振興だ。

ということから、当ブログで農薬の安全・安心確保について解説を行ったのは消費者の農業への理解が少しでも進めば、と考えてのことである。これからもいろいろな項目にわたって発信を続けていこうと考えている。
しかし、こういった場で顔が見えず、リテラシーレベルもさまざまな人々にうまく物事を伝えるのは相当に難しいと思う。どこまでわかっている人を想定するのか、その線引きというかさじ加減をどうしたらいいのかまったく見えていないのである。なので、とりあえず一般的サラリーマンおよび主婦層を相手に、という自分勝手な根拠のない想定はしている。

そういうことについて、やや趣旨は異なるものの私の友人が「黒猫亭日乗」というブログで面白い考察をしているので、ご一読頂きたい。私はこれをうまく要約できないので、それについてはご容赦願いたいが、この友人は私が胸の奥にモヤモヤっと持っているさまざまなものを、(私が要望したのでも、悩みを相談したわけでもなく)見事に明瞭な言葉に変えてくれるありがたい存在なのである。やや(かなり?)文章が長くなる傾向があるので、読まれる方はそのあたり覚悟してお読みいただければ、と思う。

さて、こういう不特定多数(?)を相手にするブログという場では確実な定義のない”一般の人”を無理やり想定して書いておいて、興味のある人だけどうぞ、という姿勢でも何とかなると思うのだが、これが仕事でやっている講習会などになるとそうはいかない。現実的に可能かどうかは別にして、全員に均一な理解をしてもらうというのが究極の目標になる。
とはいえ、参加者である生産者のリテラシーレベルは上から下までかなりの開きがあり、どうしてもレベルの低い人に向けての話にせざるを得ない。生産農家といっても、本当の意味で農業収益だけで食っていける意識の高いプロ農家から、年金生活の傍らお小遣い稼ぎを、という趣味の園芸レベルの人までさまざまである。そういう人々が特定品目の生産部会という名の下に一堂に会して講習会を行うのだ。というわけで、レベルの高い人にとっては毎シーズン開催される講習会はきわめてつまらないものとなり、あまり参加しなくなるのである。ただ、関連する法律の改正や農薬登録の変更などがあるので、時々は参加しないといけないのだが。

ここで、先ほどリンクを張らせてもらった友人の考察と少々関係のある話になるわけだが、講習会が前述した理由から簡単なネタ中心になってしまうとは言っても、当然農薬取締法や登録関連の話をすることがあり、これらに関しては産地全体の問題になりかねないため、はしょったり簡易化したりが非常に難しい。エッセンスだけを簡単に理解してもらい、講習会などを重ねて徐々に理解を深めていく手法をとった場合、中途半端に聞いていた人などは、自分の頭の中でその前後を直結し、とんでもない誤った理解をしていることがある。だから、最低限誤解を受けたら困る部分は一通り説明することになる。
また、講習会に出席していながら「聞いてもどうせわからないから」と自分の頭で考えることを放棄し、虫や病気を見つけるたびにこちらに防除方法を聞いてくる人もいる。まぁ、理解できないまま勝手に登録違反の農薬を使われるよりずっとましではあるが・・。

ということから考えると、個人ごとのリテラシーレベルに合わせて個別指導をするのが一番理想的ではあるが、私は某市全域を一人で担当しているため、市内の生産者全員に個別指導するのは物理的に不可能である。農協さんと連携して、分担したとしても無理だろう。

というわけで、今日も次の講習会に向けて、ネタの作成に頭を悩ましているのである。

しかし、大人に対してこんなに悩まなければならないというのは一体どういうことか。ある程度のリテラシーレベルに持っていくために学校教育があるはずだと思うのだが、それが十分に機能しているかどうかは怪しいものだと感じている次第である。

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CBX125カスタム 燃費第一弾

堅い話が2題続いたので、バイクの話をひとつ入れておきたい。

CBX125カスタムであるが、昨日入院先のホンダドリームから帰ってきて、今日が2度目の給油だった。燃料計はエンプティではなくリザーバーと書かれたところを指し、トリップメーターは335.7kmを示している。タンクに隙間ができないよう、センタースタンドを立て、ゆっくりと給油した。

給油口ぎりぎりまでレギュラーガソリンを入れると・・・7.52リットル。ということは、335.7÷7.52=44.6km/l !

前車アヴェニスがおおよそ30km/lであったから、約1.5倍の燃費である。今回走行条件が良かったのか悪かったのかよく分からないので、これがたまたま出た燃費なのか、このくらいが普通なのかまだ何とも言えないが、極端に落ちることはないだろう。さすがホンダエンジンである。侮れん・・・。

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消費者にも安全・安心にはコストが必要であることを認識してほしい

さて、前回農薬の残留基準値がどのように決められているのかを解説した。よほどのことがなければ農作物の基準値超過は健康に影響がないことも書かせてもらった。
生産者の立場からすれば、あまりに厳しい制度であり、基準であると思うが、安全を保障するために法律という形で合意されているものであるし、法治国家である日本ではそれに従うほかはない。そのような中で、生産者は知恵を絞り、労力を使って少しでも品質と収量を向上させるために日々努力しているのである。

しかし、農業というものは自然相手の仕事であるし、そうそう思惑通りに運ぶものではない。思いがけない病気や虫にやられることがあるし、水不足や高温で生育が停滞したり、逆に雨続きで根を傷めたりすることもある。
いつごろ植えつけて、どのくらい肥料をやって、どの農薬をいつ使って、どの品種を選んで、など適切な選択こそが農業の技術なのであり、品質・収量の向上のために必要なことであるが、それらが果たして気象、市場動向などに対して正解の処置なのかはまさに「やってみないとわからない」のである。ようするにギャンブルみたいなものなのだ。

なので、自然と対策は”手厚い”方向へ向くようになる。また、日本の消費者は味に影響がなかろうと見た目の品質にこだわる人が多いため、少しでも単価を高くしようと思えば、というより他産地との競争に負けないためには虫や病気による傷や汚れなどはつけられない。
ということは、有機栽培などに取り組んでいる一部の人を除いて、農薬の使用は避けられないことになる。実際、生産の現場で仕事をするようになって感じるのは、よほど条件に恵まれているのでない限り、農薬抜きでの農業は考えられないということだ。農薬を使わなければ病気や害虫の大流行に対応しようがないし、大流行しても指をくわえて成り行きを見守りますというのではますますギャンブル的要素が強くなってしまう。

そこで、農薬を使うとなれば安全・安心を担保するためにもそのための法律である農薬取締法と食品衛生法を遵守する必要がある。法律であるし、これを守ることは食品を生産するものとしては当然最低限の条件なのだが、これがまたなかなかに厄介な代物なのである。

まず、農薬というのは作物の種類(品目)ごとに使用できる農薬が決められている。これを登録農薬という。もちろん、農薬そのものは品目ごとに毒性が変わるわけではないが、前回説明したように、ADIがそのまま作物ごとに基準値として適用されるのではなく、いろいろな品目の農作物を一度に摂取しても残留値の合計がADIを越えないよう残留基準が決められている。このため、さまざまな状況を勘案して品目ごとに違う残留基準値が割り振られている。このことから、同じ農薬でも品目によって使用濃度、回数、収穫まで何日あけなければならないかが違ってくるのである。また、農作物の種類ごとに栽培条件や作物の形態が違うために残留の状況も違う。想像していただければわかるかと思うが、トマトのように重量があり、つるつるしているものとパセリのように軽く、くしゃくしゃのものでは農薬の付着量も違えば残留の程度もまったく変わってくる。だから、ひとつのやり方をいろいろな作物に一様に適用できないのである。

ということは、一つ一つの作物について、残留基準値の範囲内に収まるよう試験を行って使用濃度や時期を決めなければならないのだが、その試験はメーカーが行って農林水産省に申請し使用可能な農薬として登録する制度になっている(これは、農薬取締法という法律で運用されている)。その登録も品目(農作物の種類)ごとに行うことになっているので、新たな農薬が登録になったからといって、すべての品目で使用可能になるわけではなく、メーカーが試験を行い、申請し登録された品目のみ使用可能になるという仕組みである。

この登録制度は厳格に運用され、まったく同じ成分の農薬であっても、名前やメーカーが違えば使えない場合がある。仮に、Kというメーカーのガンチャン水和剤という農薬があったとしよう。これをKはトマトに使えるとして登録したが、同じガンチャン水和剤を製造しているW化学という会社があったとして、この会社がトマトに対する登録手続きをしていなければ、中身はまったく同じ農薬であってもWのガンチャン水和剤はトマトに使用することはできない。また、同じKが同じ成分ではあるが、剤型の違うガンチャン乳剤というものを製造していたとして、これを登録していなければやはりトマトには使えない。

しかし、試験および登録には非常に費用がかかるため、メーカーとしてはある程度の売り上げが見込めなければ登録申請は行わない。このため、安全性には問題はなくても使えない農薬が多く、特にマイナーな品目は農薬メーカーも登録をしにくいため生産者は農薬のやりくりに苦慮している。

農薬の登録制度というのは、これほど面倒な制度なのである。それでも、法律は法律なので、ほとんどの生産者は厳格に守っている。また、法律を遵守しているということを証明するため、農薬使用履歴の記帳にも取り組んでいる。これがかなり面倒な作業で、農薬のやりくりとともに生産者の栽培管理の中でも大きな負担となっているのだ。
詳しい説明はさらに長くなるので割愛させてもらうが、負担が増えればそれだけほかの管理作業に影響が出るし、その分品質や収量が低下することもありうる。その分の労賃というか人件費は誰も負担してはくれないのである。つまり、昔そのような履歴記帳などがなかった頃から比べると純粋に生産者の負担は増加しているわけだ。

また、その記帳された農薬の使用履歴は収穫前に使用された農薬の種類、倍率、時期などをチェックするために使われる。その農協や市場でのチェックを通らなければ出荷できない仕組みだ。そのために、農協や市場でも人員を割かなければならないし、履歴の様式の作成や配布などコストは増すばかりである。農協などでそのコストを吸収できればいいが、たとえその場ではしのいだとしても、いずれ何らかの形で生産者に対する負担になる可能性はある。

また、登録制度を厳密に運用するとなると、自分が農薬を使用しようとする対象農作物だけでなく、周りの作物にまで気を使う必要がある。農薬の使用方法のほとんどは、水で希釈しての散布(噴霧)になる。細かい霧状にして散布するわけなので、当然風があれば対象作物のあるほ場以外にも飛んでいくことになる。そこに農作物が植わっていて、自分が今使っている農薬がその作物に登録がなければその作物は意図しない違反農薬が付着することになる。これをドリフトというが、ドリフトを防ぐため生産者はさまざまな工夫をしている。防風ネットを張ったり、背の高い緑肥作物(ソルゴーなど)をほ場の周囲に生やしたり、あまり細かい霧になりにくいドリフト防止ノズルに交換したり、である。どれも、費用や労力が必要なものばかりである。

以上に紹介したものは、農薬に関する安全・安心対策のすべてではない。しかし、いずれにしても生産者の金銭的、労力的な負担を増すものであることはわかっていただけたと思う。農作物の消費者価格はほとんど上がっていないのに、生産者の、農家の負担は増すばかりである。とはいえ、これは安全・安心を求める消費者の声がそうさせているということを消費者自身がしっかりと自覚するべきだ。安全・安心を求めることそのものは当然のことなのだが、そこには当然コストというものが存在することを忘れないでほしい。いつまでも安全・安心がただで手に入ると思っていたら、早晩国産農作物は手に入らなくなるかもしれないと覚悟しておいたほうがいい。

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